勧修寺家
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勧修寺家(かじゅうじけ/かんじゅじけ)は藤原北家勧修寺流の公家である。坊城家の支流で、家格は名家。藤原高藤の子孫の系統を「勧修寺流」と言うが、嫡流は勧修寺家ではなく、甘露寺家である。
南北朝時代の坊城定資の子・経顕(南北朝時代)を勧修寺家の祖とする。江戸時代の石高は726石。家学は儒学。
[編集] 歴代当主
- 勧修寺経顕 (1298 - 1373)
- 勧修寺経方 (1335 - )
- 勧修寺経重 (1355 - 1389)
- 勧修寺経豊 ( - 1411)
- 勧修寺経興 (1396 - 1437)
- 勧修寺経直 ( - 1449)
- 勧修寺教秀 (1426 - 1496)
- 勧修寺経茂 (1430 - 1500)
- 勧修寺政顕 (1452 - 1522)
- 勧修寺経熈 (1432 - 1504)
- 勧修寺尚顕 (1478 - 1559)
- 勧修寺尹豊 (1503 - 1594)
- 勧修寺晴秀 (1523 - 1577)
- 勧修寺晴豊 (1544 - 1602)
- 勧修寺光豊 (1575 - 1612)
- 勧修寺教豊 (1610 - 1615)
- 勧修寺経広 (1606 - 1688)
- 勧修寺経慶 (1644 - 1709)
- 勧修寺尹隆 (1676 - 1722)
- 勧修寺高顕 (1695 - 1737)
- 勧修寺顕道 (1717 - 1756)
- 勧修寺敬明 (1740 - 1758)
- 勧修寺経逸 (1748 - 1805)
- 勧修寺良顕 (1765 - 1795)
- 勧修寺経則 (1788 - 1836)
- 勧修寺顕彰 (1814 - )
- 勧修寺経理 (1828 - 1871)