信濃追分駅
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信濃追分駅(しなのおいわけえき)は、長野県北佐久郡軽井沢町追分にあるしなの鉄道線の駅。
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[編集] 概要
信越本線時代は中央本線富士見駅と並んで、特急が通る日本最高所駅(955m)として知られていたが、しなの鉄道に移管されるとともに特急の設定はなくなった。現在でもしなの鉄道の最高所駅である。
また、JR時代は高崎支社と長野支社の境界駅(実際の境界は隣の御代田駅との間)でもあった。
なお「追分」は中山道と北国街道の分岐点の意味であり、旧国名の「信濃」を冠したのは駅昇格時、現在の室蘭本線と奥羽本線に追分駅(追分駅 (北海道)・追分駅 (秋田県)をそれぞれ参照)が既に存在していたからである
一時期、「西軽井沢」へ不動産分譲のために駅名と地名を変更する計画もあったというが、地元住民やこの地に別荘を持っていた詩人などの反対で実現しなかったとされる。
[編集] 駅構造
[編集] 駅周辺
[編集] 路線バス
千曲バス(軽井沢町内循環バス西コース)
- 信濃追分駅~古宿公民館~中軽井沢~軽井沢病院
- 信濃追分駅~大日向~追分公民館~三ツ石公民館
[編集] 歴史
- 1909年(明治42年)6月25日 - 国有鉄道の追分仮停車場として開業。
- 1923年(大正12年)10月1日 - 信越本線の信濃追分駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に継承。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 長野新幹線開業に伴い、東日本旅客鉄道からしなの鉄道に移管される。
[編集] 隣の駅
[編集] その他
- プラットホームからは浅間山などが一望でき、その案内板もおかれている。
- 鉄道紀行作家の宮脇俊三は「旅情を誘われ、信濃路の終わりを感じさせられる」、フリーライターの所澤秀樹は「人生の分かれ道のような感傷めいたものを感じさせる名」と、それぞれこの駅名を表現している。
- JR時代には記念スタンプが置かれ、現在もその名残のスタンプ台が残っている。しなの鉄道への移行時に全て撤去されたが現在3種類が軽井沢駅隣接の旧軽井沢駅記念館に保管され、来館記念用に軽井沢駅の物とと共に現役で使用されている。
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 追分駅 - 北海道にあるJR室蘭本線の駅
- 追分駅 - 秋田県にあるJR奥羽本線の駅
- 追分駅 - 三重県にある近鉄内部線の駅
- 追分駅 - 滋賀県にある京阪京津線の駅
- 安曇追分駅 - 長野県にある大糸線の駅
- 美作追分駅 - 岡山県にあるJR姫新線の駅
しなの鉄道線 |
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