依佐美送信所
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依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、愛知県刈谷市高須町山の田1番地にあった無線送信所である。
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[編集] 概要
高さ250mの鉄塔8基(4基×2列)にて長さ1.8km、16条のアンテナ用ワイヤーを支え、逆L形フラットトップアンテナを構成した。アース線は、1.76km×0.88kmの範囲内の地中に深さ60cmで網の目上に敷き詰められた。
対となる受信所は三重県四日市市にあった。太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二○八」を送信した送信所とされる場合があるが、船橋送信所または針尾送信所からであると言う説もあり、定まっていない。足利義満による相国寺七重大塔の持つ106mという高さ日本歴代記録を約530年ぶりに更新した。
[編集] 写真
[編集] 歴史
- 1927年7月 日本無線電信株式会社が対欧無線局として建設に着手
- 1928年12月 空中線完成
- 1929年4月15日 送信開始、周波数:17.442kHz(5.814kHzを3逓倍)、電波型式:ASK、空中線電力:500kW
- 1941年 この頃より日本海軍の対潜水艦通信に使われるようになる
- 1950年 米海軍が対潜水艦通信に使うために接収、電気興業株式会社が再整備、以後現在に至るまで同社が管理
- 1952年7月 送信開始、コールサインNDT
- 1955年 米海軍は保守・運転のすべてを電気興業に任せ撤退
- 1970年7月 FSKの送信機(空中線電力250kW)を追加
- 1975年12月 3号鉄塔の敷地内に侵入した小学生が感電死、のちに「受難の像」が建立された
- 1983年 空中線内を国道419号が貫通、送信時の車両への誘導電圧を避けるためアーストンネル施工
- 1984年5月27日 11500人の平和運動家により「トマホークくるな 人間のくさり5・27依佐美大行動」が開催され送信施設とアンテナを取り囲まれる
- 1989年 「対欧無線通信発祥地」の記念碑が建立される
- 1993年8月 送信終了
- 1994年8月1日 米海軍から返還
- 1995年11月 空中線の撤去開始、のちに撤去した銅線の一部を使い「平和の鐘」が作られた
- 1996年7月 鉄塔の撤去開始
- 1996年8月29日 撤去中の8号鉄塔が倒壊、1名死亡
- 1997年3月 鉄塔の撤去完了
- 2006年4月 局舎の撤去開始
- 2007年4月 記念館(フローラルガーデンよさみ)完成