中華思想
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中華思想(ちゅうかしそう)とは、中国(中華)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、漢民族以外の異民族の独自文化の価値を認めず、「化外の民」として教化の対象とみなす思想。華夷思想ともいう。
歴史
「中華」の由来に関しては中国を参照のこと
中華と夷狄の峻別を理論的に説いた文献のうち、現在確認できる最古のものは孔子によるものである。孔子は周初の礼楽を制度化し、夷狄起源の文化要素を排除すべきことを主張した。
新の皇帝の王莽は、前漢において夷狄を王に冊封していた慣習を華夷秩序の観点から改め、匈奴や高句麗の王を候に降格せしめようとしたが、これらの諸国の離反を招いてしまった。
唐王朝は西域を主とする異国文化を珍重し、また外国人が宮廷で登用されることも珍しくなかった。
しかし宋王朝では対外劣勢を反映し、宋学では華夷の序が強調されるようになった。
明が異民族王朝の清に滅ぼされると、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められている現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べ、日本の小中華思想のさきがけとなった。
その清王朝も乾隆帝の時代には中華としてイギリスとの対等外交を拒絶するようになった。
中華人民共和国では儒教が強く否定され、公的イデオロギーにおいて中華思想は存在しない。毛沢東は中国は第三世界の一員であると述べている。ただし特に国内政策において中華民族の概念が利用されることも多い。
学術的用語を離れた俗用法として
漢人の伝統的な思想という学術的な意味を離れ、その語感から単に強引で自己中心的な考え方を中華思想と呼ぶ場合がある。