丘力居
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丘力居(きゅうりききょ、生没年不詳)は、中国の後漢末期の鳥丸族の王。
[編集] 生涯
遼東郡を支配する鳥丸族の大人(酋長)で、5000を超える集落を支配下に置いていた。後漢の勢力が衰退するとこの勢力を背景にして幽州や青州などに何度も侵攻した。さらに中山太守の張純が後漢に対して反乱を起こすと彼と手を結び、さらに後漢の領土を侵食しようとする。
しかし皇族のひとりで名君で知られていた劉虞が幽州刺史として赴任すると、劉虞を慕う丘力居らは劉虞に使者を出して恭順の意を示そうとした。このとき、劉虞を妬む公孫瓚に使者を殺害されるなどして交渉を妨害されたが、丘力居は劉虞に恭順し、張純の反乱鎮圧に貢献したという。