ヴラジーミル・ホロヴィッツ
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ヴラジーミル・サモイロヴィッチ・ホロヴィッツ(Vladimir Samoilovich Gorovits(Horowitz), Владимир Самойлович Горовиц(Vladimir Samojlovič Gorovic/Horovyc), 1903年10月1日 - 1989年11月5日) は、ウクライナ生まれのアメリカのピアノ奏者である。名指揮者として知られるトスカニーニの娘婿にあたる。ロシア語ではゴロヴィッツと発音するが、ウクライナ語ではホロヴィッツとなる。
目次 |
[編集] 生涯
ホロヴィッツ自身は、ウクライナのキエフで生まれたと主張していたが、ウクライナの小都市ベルディーチェフで生まれたとする説が有力である。彼は1903年に生まれている。しかし、軍隊で彼の手が傷つくことを恐れた父は、徴兵から逃れられるように生まれ年を1年遅い1904年として申告した。1904年を生まれ年とする文献が散在するが、権威筋は1903年が彼の正しい生まれ年であるとしている。幼少の頃よりアマチュアピアニストであった母から手ほどきを受け、1912年にキエフ音楽院に入学し、1919年に卒業。卒業時にはラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第3番」を演奏している。翌1920年には、初のピアノ リサイタルを開催。
彼の名声は瞬く間に高まった。彼はソ連(現ロシア)において国内ツアー(当時の経済的苦境を反映し、ギャラはしばしば、お金ではなくパン、バター、酒で支払われた)を開始し、1926年には初の国外コンサートをベルリンで開催、続いて、パリ、ロンドン、ニューヨークで演奏を行った。1940年米国に居を構え、1944年には米国の市民権を獲得した。
健康上の理由などからしばしば公の活動から退くことがあった。1965年に12年ぶりにカムバックした時の彼のピアニズムは老いたどころか逆に骨太くなり、一層凄みのある演奏を繰り広げた。一時期、処方される薬の影響で指を制御できず「ひび割れた骨董」などと言われる演奏をすることもあったが、その後は老いに負ける事なく最後まで豪快で華麗な演奏をしたピアニストであった。 ピアノテクニックの進んだ現在では彼以上にピアノを弾きこなすピアニストは珍しくはないが、いろんな意味で“古き良き時代”の香りを残す演奏をしたホロヴィッツのような演奏家は貴重な存在であったと言える。
フランツ・モアは、スタインウェイ所属の、当時最高クラスの調律師であり、ホロヴィッツだけでなくアルトゥール・ルービンシュタインの調律も同時期に行ったことでも有名である。彼は、引退後にそのころの回想録(邦訳名『ピアノの巨匠たちとともに』)を出版しており、ホロヴィッツとルービンシュタインの対照的な性格を見事に記述している。ホロヴィッツはスタインウェイ・アーティストであった。
結果的に最後のレコーディングとなってしまった小品集のレコーディング(「ザ・ラストレコーディング」として発売)を終えた4日後の1989年11月5日、自宅で食事中に急逝した。 ショパンの練習曲数曲の録音は幻となってしまった。
[編集] ピアノ演奏技法
ホロヴィッツの「指を不自然に伸ばして演奏するスタイル」は演奏における音色、技巧、刺激的な熱情をしめす。彼が行ったドメニコ・スカルラッティやアレクサンドル・スクリャービンのピアノ作品演奏は伝説的と言われる。その一方で、批判派によれば彼の演奏は一様にホロヴィッツ風の味付けに解釈されており、時には気取り過ぎ、また多くの場合は作曲者の意図(強弱、長短、速度など)を歪曲して弾いている。こういった事はホロヴィッツであるから受け入れられるのであって、他のピアニストが行うと再現音楽の歪曲として非難を受けることになるであろう。 この彼独自の演奏法で、演奏中にコントロールを失うことがあり、テンポが非人間的なほどに加速する事も珍しくはなかった。
ホロヴィッツは最初セルゲイ・タルノフスキに、次にフェリックス・ブルーメンフェルトに師事した。「指を伸ばして弾く」奏法は、日本の音楽学校で長年指導されてきたドイツ系に影響される多数派のピアノ奏法とは大きく異なっているが、この奏法はパリ音楽院教授の、コルトー、ペルルミュテールらがその奏法で演奏し、指導も行ったことからわかるように、音色に多様な色彩感を必要とされる印象派の有名な作曲家を輩出したフランスでは、この様な指を伸ばして弾く演奏スタイルは一般的であると言える。 一般的に、速度重視で弾く場合は“指を曲げて(立てて)弾く奏法”で弾き、音色重視の場合は“指を伸ばして弾く奏法”で弾くことが多いが、彼の場合、速度が犠牲となる“指を伸ばした奏法”で速度と音色の両方を得ることができたのは驚異的である。しかしそれは彼のために調律したピアノを用いて演奏可能であったと言われている。ホロヴィッツは当初作曲家志望であったものの、家計のためにピアニストを選んだとされる。
レパートリーでは、特にロマン派を得意とするピアニストとして広く知られているホロヴィッツだけあって、特に、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第3番」を作曲家本人に「私よりうまくこの曲を演奏する」と言わしめるほど得意とし、リストの「ハンガリー狂詩曲」などのロマン派の技巧を要する曲なども高く評価されている。また、彼は編曲においても有名である。ピアノ曲向けの高難度編曲としてムソルグスキーの「展覧会の絵」の編曲、超絶技巧を要求する編曲としてリストの「ハンガリー狂詩曲 第2番」の編曲がある。この「ハンガリー狂詩曲 第2番」の編曲ではFriska sectionの終りに向かって3段譜を鮮やかに弾きこなしつつ、圧倒的なクライマックスを作り上げている。彼はこの編曲を一度だけしか録音していない。それこそが、1953年2月25日にカーネギー・ホールで行なわれた録音である。彼はその演奏を「おそらく生涯一の難曲であった」と回想している。バーバーの「ピアノ ソナタ」、ラフマニノフの「ピアノ ソナタ 第2番」、リストの「ピアノ ソナタ」、の諸録音は“悪魔的”と形容することが許される音源である。
ホロヴィッツのピアノ技法は圧倒的に鋭く豪快で、そして精度の高いテクニックに魔的な魅力を湛えていた。最近は楽譜に忠実という意味での端正なピアニストが多くなっているが、個性という面では希薄になりつつあるとも言える。その意味でホロヴィッツの様なアカデミズム圏の呪縛から解き放たれたようなピアニストは現代では稀有である。しかし、ホロヴィッツの演奏スタイルも、ピアノという楽器全体を揺るがさんばかりに豪快な音を鳴らして歌わせるロシアン・スクールの系譜の上に成り立った変種であることは間違いない。21世紀に入りホロヴィッツの編曲譜は入手が容易になった。
[編集] 主なレパートリー
ショパン、リスト、シューマン、ラフマニノフ、スクリャービンなどロマン派から近現代にいたる作曲家全般の他、モーツァルト、ベートーヴェン、スカルラッティなど古典も含め、極めて多岐に渡る。また、クレメンティ、ツェルニー、モシュコフスキーといった一般的にマイナーな作曲家なども、彼の好みによって主にリサイタルのアンコールプログラムに取り入れることも度々あった。
また、「カルメン の主題による幻想曲」「死の舞踏」「結婚行進曲による変奏曲」「星条旗よ永遠なれ」(アンコールでこの曲が演奏されるまで聴衆は帰らなかったと言われている)など自身による編曲作品にも定評がある。その他にも17歳の時に兄の誕生日に作った曲「ダンス エキセントリック」(あるパーティーでラフマニノフが演奏中のピアニストを止めさせ、ホロヴィッツにこの曲を弾くように言った)や「エチュード・ファンタジー 変ホ長調「波」 Op.2」がある。
[編集] 来日
ホロヴィッツは1983年に初来日。NHKホールで2回コンサートをした。S席50,000円が即日売り切れとなり話題となった。この初来日のコンサートを取材したNHK番組では、プログラム前半終了時の休憩時間にインタビューを受けた音楽評論家の吉田秀和が「ひびの入った骨董品」と評し、ピアニスト神谷郁代は賛辞を述べるなど評価は分かれた。 ホロヴィッツ自身はこの演奏には満足できておらず、日本に留まりもう一度演奏をするとの意思を固く有していたが、詰まった後のスケジュールを変更するわけにもいかず、ある人が朝日新聞に載せられた吉田氏の酷評を英訳したところ「真珠湾攻撃よりも酷い」とポツリと述べた後、帰国の途についた。そしてホロヴィッツは酒や薬を絶った。 2回目の来日となった1986年にも、モスクワ演奏旅行の後に昭和人見記念講堂でコンサートを行う。麻薬中毒から立ち直ったこともあって初来日時よりもコンディションが良く、こちらの演奏はホロヴィッツ本来の芸術性が発揮されたものであった。なお、この時の入場券は28,000円で、1983年の演奏で利用したスタインウェイのピアノは、2007年1月に日本で公開された。
[編集] 関連
さそうあきらのコミック「神童」には、ホロヴィッツをモデルにしたと思われる老ピアニストと妻君、及び専属調律師が登場し、物語上重要な役割を演じる。