ヴェニアミーン・フレーイシュマン
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ヴェニアミーン・ヨーシフォヴィチ・フレーイシマン(キリル文字:Вениами́н Ио́сифович Фле́йшман / ラテン文字:Veniamin Iosifovich Fleischman, Benjamin Fleischmann, Venyamin Fleishmann もしくは Fleyshman)は、ソ連邦の夭折したユダヤ系の作曲家。1913年7月20日にトヴェリ州ベジェーツクに生まれ、1941年にレニングラード州クラスノエ・セローにて他界した。偽書説も囁かれる『ショスタコーヴィチの証言』において、フレーイシュマンを愛弟子と認める評価が繰り返されたことから、西側でもにわかにその名が知られるところとなった。
レニングラード音楽院作曲科にて1939年から1941年までディミトリー・ショスタコーヴィチに師事し、アントン・チェーホフの短編小説を原作とする1幕オペラ《ロスチャイルドのヴァイオリン》に着手。これは、19世紀ロシアのシュテットルの棺桶職人にしてフィドル奏者のブロンザと、同じ村のユダヤ人音楽家との喧嘩を描いたものである。
第二次世界大戦が勃発すると、フレーイシュマンは最前線に志願し、作品の完成を見ることなく戦死した。ショスタコーヴィチは才能ある学生の死を惜しんで、攻略中のレニングラードからフレーイシュマンの自筆譜を救い出し、1943年から翌1944年にかけて、その補筆・完成とオーケストレーションの作業を進めて行った。ショスタコーヴィチは総譜に、完成の日付を1944年2月5日と記入している。その後にショスタコーヴィチは睨みを利かせて、このオペラが出版・上演されるようにした。
演奏会形式による世界初演は、1960年7月20日に、ソ連作曲家同盟モスクワ支部において、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の団員の出演により実現された。最初の舞台上演は1968年4月にレニングラードで、マクシム・ショスタコーヴィチが指揮者を務める実験スタジオ室内オペラ座にて行われた。
《ロスチャイルドのヴァイオリン》の音源は、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の演奏により、RCAからCDが発売されている。