ローラン・ファビウス
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ローラン・ファビウス(Laurent Fabius、1946年8月20日 - )は、フランスの政治家。フランス社会党所属。
1946年、パリの高級住宅街16区に生まれる。高等師範学校、パリ政治学院、国立行政学院(ENA)を卒業。1974年、社会党に入党。ミッテラン第一書記の経済顧問を務め、「ミッテランの秘蔵っ子」と呼ばれる。
1981年6月、ミッテラン政権発足とともに、予算担当相に就任。1983年には、産業・技術相に就任。さらに、1984年7月には、37才で首相に就任。1981年より続いていた同政権の社会主義的政策を急転換させ、緊縮政策、市場重視の政策を行なった。1985年予算案は経済再建を軸にした超緊縮型予算で、歳入面では所得税・法人税の減税、社会保障関係の国民・企業負担の軽減、社会保障支出削減が打ち出された。インフレ政策は成功し、1981年に14%を記録したインフレ率も、1985年には5%以下となった。ただ、失業者対策は完全に破綻し、1980年~1985年で増えた失業者の数は約75万人増加。1985年には失業率は10.4%、失業者の数は300万人に達した。在任中は、ミッテラン大統領よりも人気があったが、1986年3月の総選挙で社会党が敗北し、首相を辞任。1988年6月から3年間、国民議会議長を務める。1992年1月、社会党第一書記に就任。その後、首相在任中の薬害エイズ事件の罪で起訴されたが、2000年3月、ジョスパン政権で蔵相に就任し、政治的復活を果たした。
2005年欧州憲法批准問題では、社会党が批准に賛成する方針であったが、ファビウスは反対に回った。
2007年フランス大統領選挙では、社会党の大統領選挙候補者に立候補したが、2006年11月党大会でファビウス、セゴレーヌ・ロワイヤル、ドミニク・ストロス・カーンによる選挙の結果、ロワイヤルが公認候補者となった。
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[編集] 外部リンク
- Laurent Fabius' official page (フランス語、フランス国民議会内)
- Laurent Fabius' personal web page (フランス語)