ルートヴィヒ・トゥイレ
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ルートヴィヒ・トゥイレ(Ludwig Thuille, 1861年11月30日 南部チロル ボルツァーノ - 1907年2月5日 ミュンヘン)はドイツの音楽教育家・作曲家。テュイレの表記もある。オーストリア出身。一時期、リヒャルト・シュトラウスに代表される「ミュンヘン楽派」の一員に数えられたことがある。
幼児期に両親を喪い、おじを頼ってオーストリアに出る。インスブルックで学問を修め、1877年に終世の友リヒャルト・シュトラウスと知り合う。その後ミュンヘンでヨーゼフ・ラインベルガーらに作曲を師事。その後ミュンヘン音楽アカデミーの楽理科ならびに作曲科の教授に就任し、数多くの門弟を育成した。主要な門人に、ヘンリー・ハドリー、リヒャルト・ヴェッツ、ヴァルター・クルヴォワジエール、ヘルマン・アーベントロート、ユリウス・ヴァイスマン、ヴァルター・ブラウンフェルス、エルンスト・ベーエ、エルネスト・ブロッホ、クラウス・プリングスハイムら。死後出版された音楽理論書『和声学 Harmonielehre』(ルドルフ・ルーイとの共著、日本語版は山根銀二と渡鏡子の共訳による)は多くの版を重ね、非常に影響力があった。
トゥイレは室内楽に献身した多作な作曲家であり、こんにちではピアノと管楽器のための《六重奏曲》作品6(1886~1888年)や《チェロ・ソナタ》作品22の作曲家として辛うじて知られているにすぎないが、《交響曲ヘ長調》や《ピアノ協奏曲》のような大作のほか、数々のリートや、3つの歌劇も作曲している。このうち最初の《心からの感謝 Theuerdank》(1897年完成)は、1897年に、バイエルン王国摂政主催の歌劇作曲コンクールにおいて、ツェムリンスキー作曲の《ザレマ》を抑えて首席に輝いた。2作目の《愛の舞踊 Lobetanz》は1898年にカールスルーエにて初演され、かなり成功した。最後の歌劇は、1901年の《 Gugeline》である。リヒャルト・シュトラウスとの親交や楽劇への献身にもかかわらず、トゥイレはかなり保守的な作曲家のままであり続けた。