ルーシー (アウストラロピテクス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アウストラロピテクスのルーシーは、1974年11月30日にエチオピア北東部ハダール村付近で発見された約350万年前の化石人骨。アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最も初期に発見されたものの一つとして、また、全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという資料上の貴重さから、広く知られている。
モーリス・テーブ (Maurice Taieb) を中心とする国際アファール調査隊 (the International Afar Research Expedition ; IARE) が発見し、当時流行していたビートルズの曲、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズにちなんで命名した。
ルーシーをはじめとするアファール猿人の化石人骨群が発見されたアワッシュ川下流域は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
目次 |
[編集] 発見
フランスの地質学者モーリス・テーブ(Maurice Taieb、しばしばタイーブと書かれる)は、1972年にハダール累層 (the Hadar Formation) を発見したことを踏まえ、国際アファール調査隊を組織した。そこには、アメリカの人類学者で後にアリゾナ州立大学人類起源研究所長となったドナルド・ジョハンソン (Donald Johanson) や、フランスの古生物学者で後にコレージュ・ド・フランスに招聘されたイヴ・コパン (Yves Coppens) らが、共同責任者として招かれた。
調査隊は、人類の起源に関わる化石や加工品を求めて、1970年代にハダール村付近を調査した。第一次調査期間が終わりに近づいた1973年11月に、ジョハンソンは脛上端の骨を発見した。続いて大腿骨下端が発見され、それらを接合して復元した膝関節は、明らかに直立歩行するヒトのものであることを示していた。[1][2]
彼らは翌年に第二次調査期間に入り、ほどなく人類の顎の化石を発見した。そして、1974年11月30日を迎えた。ジョハンソンはこの日、調査記録の更新作業をするつもりだったのだが、教え子の一人で化石研究をしていたトム・グレイ (Tom Gray) とアワッシュ川近くで会うために、予定を変更した。そしてジョハンソンとグレイが灼熱の台地で会ったときに、2人は小渓谷の斜面で小さな骨を見つけたのである。それは腕の骨の一部だったが、その近くには頭蓋骨後部の破片も見つかった。彼らがさらに周囲を調査してみると、顎、腕、腿、肋骨、脊椎などの骨が次々と見つかった。ジョハンソンとグレイは注意深く骨格を分析し、それらが一個体の約40%という驚異的な量の化石であると見積もった。この数字は大したことがないように思えるかもしれないが、人類学の世界では驚倒すべき水準なのである。それというのも、通常の化石人骨は断片しか見つからないものであるし、頭蓋骨や肋骨が完全な状態で見つかることなどは非常に稀だからである。
調査隊はこの人骨の研究をさらに進め、この人骨が持つ骨格的な特徴から女性であると結論した。この人骨AL288-1(整理番号。AL はAfar Location 「遠い場所」の略)には、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで、「ルーシー」という愛称が与えられた。発見当時の宿営地では、テープレコーダーから繰り返しこの曲が流れていたからである。
ルーシーは、身長1.1m、体重29kgで、一般的なチンパンジーに近いようにも見える。しかし、この小さな脳を持つ存在の骨盤と足の骨は、機能的には現代人と同じものであり、確かに直立歩行していたことを示している。[3]
ジョハンソンと、彼の同僚でカリフォルニア州出身の古人類学者ティム・ホワイト (Tim White) は、発見された新たな人骨群、すなわちアウストラロピテクス・アファレンシスを、390万 - 300万年前に生きていたヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先として位置づけた(より古いラミダス猿人の骨が発見されたのは、彼らの発見の20年後である)。チンパンジーの系統により近い人骨は、1970年代以降見つかってはいたが、人類の起源を研究する古人類学者たちにとっては、ルーシーは至宝の座にありつづけた。より古い人骨は断片で見つかるのが常であったため、二足歩行の段階や現生人類との関係についての確定的な結論を出すには至っていなかったからである。
ジョハンソンは、当時のエチオピア政府の合意を得て、クリーブランド (オハイオ州) に骨格標本を持ち帰ったが、9年ほど後に合意に従ってエチオピアに返却した。ルーシーは世間の耳目を集めた最初の化石人骨で、当時は誰でも知っている名前となった。アファール猿人の段階に位置づけられている彼女のオリジナルの骨格標本は、現在アディスアベバにあるエチオピア国立博物館に保管されていて、石膏の模型が本物の代わりに展示されている。オリジナルから型を採った複製は、再現された姿でクリーブランド自然史博物館 (Cleveland Museum of Natural History) にも展示されている[4]。アファール猿人やその先行者それぞれの生活ぶりを再現し、科学者たちが推定している行動や能力を示してくれるジオラマは、ニューヨークのアメリカ自然史博物館のHall of Human Biology and Evolutionに展示されている。
ルーシーの発見以後も、1970年代を通じてアファール猿人の化石は発見されており、変異の範囲や性的二形 (sexual dimorphism) の問題について、より深く理解できるようになっている。
[編集] 顕著な特質
ルーシーの骨格には、次のような特質がある。
[編集] 二足歩行の痕跡
ルーシーの最も印象的な特質のひとつは、外反足である。このことは、彼女が普通に二足歩行をしていたことを示している。
彼女の大腿骨は骨頭が小さく、骨頚が短い。それらは原始的な特徴ではあるのだが、一方で大転子は(大腿骨頭より高位にならず)明らかに短くなり、現生人類に近づいている。
彼女の大腿骨の長さに比べた上腕骨の長さの比は84.6%である。現代人の71.8%、一般的なチンパンジーの97.8%に比べると、アファール猿人の腕が短くなり始めているか、足が長くなり始めているか、あるいはその両方が同時進行しているかのいずれかを意味している。ルーシーには、別の二足歩行の指標といえる腰椎の前弯も見られる。
[編集] 骨盤
ジョハンソンは、ルーシーの左の坐骨と仙骨も復元することができた。仙骨の保存状態は明らかに良かったが、坐骨は歪んでいた。この二点からは、異なる特質が浮かび上がってくる。
仙骨は、iliac flareがほとんどなく、実質的にanterior wrapを持たないので、類人猿に近い腸骨を形成している。ただし、この復元には欠点もあることが明らかになった。もし右の腸骨が左と同じでなければ、恥骨上枝が接続できなかったはずだからである。
ティム・ホワイトによる坐骨の復元は、広いiliac flareを持ち、はっきりしたanterior wrapを示している。このことは、ルーシーが普通ではない寛骨臼内部のゆとりと、普通ではない長い恥骨上枝を持っていたことを意味する。彼女の恥骨弓は現代の女性に似て90度を超えている。しかしながら、彼女の寛骨臼はチンパンジーのそれのように小さく原始的である。
[編集] 頭蓋
1950年代から70年代には、類人猿の脳の容積の増大が、人類への進化の引き金になったと考えられていた。ルーシー以前には、約800cc(のちに約500ccに修正)の脳の容積を持つSkull 1470と呼ばれる頭蓋骨が発見されていた。これは190万年前の化石である。つまり、190万年前の類人猿の方が容積が大きかった。もし旧説が正しいのなら、人類は190万年前の類人猿から進化したと考えたほうが妥当だったはずだ、という批判が生じた。(これは350万年前の人類と190万年前の類人猿を比較しているので、無意味な批判だが。同じ190万年前なら、ルーシーの子孫はもっと進化しているからだ。)
ともあれ、ルーシーはより古い化石人骨であり、かつ脳の容積は375 - 500ccであるというのに、直立二足歩行をしていた。これらの事実は、旧説に見直しを迫る面もあった。
(なお、類人猿らしいSkull 1470もまた直立二足歩行をしていたらしいので、直立二足歩行が人類に特有のことだというわけでもないらしい。実際、チンパンジーも少しは直立二足歩行をする。)
[編集] 注
- ^ Letter from Donald Johanson, August 8, 1989 Lucy's Knee Joint
- ^ Johanson, Donald & Maitland Edey (1981), Lucy, the Beginnings of Humankind, St Albans: Granada, ISBN 0-586-08437-1, pp. 159-161
- ^ Johanson et al., op.cit., pp. 20-22, 184-185
- ^ "Permanent Exhibits." www.cmnh.org. 3 January, 2007.