リカルド・リッコ
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個人情報 | |
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本名 | リカルド・リッコ Riccardo Riccò |
愛称 | コブラ |
生年月日 | 1983年9月1日(24歳) |
国籍 | イタリア |
身長 | 173cm |
体重 | 59kg |
チーム情報 | |
所属 | サウニエルデュバル・スコット |
分野 | ロードレース |
役割 | 選手 |
特徴 | クライマー |
プロ所属チーム | |
2006– | サウニエルデュバル・スコット |
主要レース勝利 | |
ジロ・デ・イタリア新人賞(2008) ティレーノ〜アドリアティコ ポイント賞(2007) ジャパンカップ優勝(2006) ジロ・デ・イタリア 通算3勝 |
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最終更新日: | |
2008年6月4日 |
リカルド・リッコ(Riccardo Riccò、1983年9月1日- )はイタリア・フォルミージネ出身の自転車競技選手。2006年プロデビュー。同年のジャパンカップ優勝や2008年ジロ・デ・イタリア新人賞などの実績をあげている。アタックをかける前に周囲の選手を威嚇するようなしぐさを見せるところから「コブラ」の異名で呼ばれるクライマー。
目次 |
[編集] 経歴
13歳で自転車競技を始め、2001年にイタリア国内選手権(ジュニア)のシクロクロス部門で優勝を果たし、2004年にはU-23イタリア国内選手権個人ロードレース部門で優勝。2005年もプロと一緒にUCIヨーロッパツアーのセッティマ・チクリスタ・ロンバルダを走ってステージ2勝し総合優勝するなど数々の実績を挙げて、2006年にサウニエル・デュバル・プロディールとプロ契約を結びデビューを果たした。
そしてこの年早くもツール・ド・フランスに出場して総合98位。またジャパンカップサイクルロードレースでもルッジェーロ・マルツォーリを降して優勝した。
2007年はシーズン序盤から活躍。ティレーノ〜アドリアティコで総合12位に入ってポイント賞を獲得。春のクラシックレースでもたびたび上位に入り、好調なところを見せる。
ジルベルト・シモーニのアシスト役として出場したジロ・デ・イタリアでも最難関ステージとされた第15ステージで序盤からチームメイトのレオナルド・ピエポリと協力して逃げ切りを成功させ、グランツールでも初勝利。総合でも6位、新人賞では2位と大健闘した。
シーズン後半のジロ・ディ・ロンバルディアでもダミアーノ・クネゴに次ぐ2位に入り、最終的にこの年のUCIプロツアーで個人総合16位の成績を収めた。
2008年はチームのエースとして新人賞および総合優勝の期待がかかる中でジロ・デ・イタリアに出場。落車による人差し指のケガや風邪などのトラブルにあいながらもステージ2勝をあげて新人賞も獲得。さらに優勝したアルベルト・コンタドールと最後まで総合成績争いを演じ、一時は4秒差まで迫る活躍で2位に入った。
[編集] 人物
- 山岳ステージでの活躍からマルコ・パンターニの再来と言われることがあり、本人も尊敬する人にパンターニをあげるなど、それを意識した発言が多い。
- これまでレース前後に自信たっぷりの発言をしたり、他選手に対して厳しいコメントをするなど強気な性格が目立つが、2008年のジロ・デ・イタリア最終ステージ後のインタビューでは本人いわく「言いたいことはかなり我慢している」と述べている。
- 自転車競技を始める前には空手を習っており、茶帯の保持者である。
[編集] エピソード
- プロ契約を結ぶ前の2005年にレース後の検査でヘマトクリット値が50%を超える数値を出してしまい、ドーピングの疑いがかけられたためデビューが怪しくなった。そのためUCIの本部があるローザンヌで血液検査を重ねて、ヘマトクリット値がもともと高いことを証明してようやく疑いを晴らしたことがある。
[編集] 主な戦歴
[編集] グランツール
- ジロ・デ・イタリア 新人賞(2008年)
- 2007年 ジロ・デ・イタリア 総合6位 区間1勝
- 2008年 ジロ・デ・イタリア 総合2位 区間2勝
[編集] ステージレース
- 2005年 セッティマ・チクリスタ・ロンバルダ 総合優勝
- 2007年 ティレーノ〜アドリアティコ ポイント賞 区間2勝
[編集] ワンデーレース
- ジャパンカップサイクルロードレース 優勝(2006年)
- アムステルゴールドレース 9位 フレッシュ・ワロンヌ 5位 ジロ・ディ・ロンバルディア 2位(2007年)