ラブモア・ヌドゥ
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基本情報 | |
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本名 | ラブモア・ヌドゥ |
通称 | The black panther(黒豹) |
階級 | スーパーライト級 |
国籍 | オーストラリア |
誕生日 | 1971年8月16日(36歳) |
出身地 | 南アフリカ共和国 トランスヴァール |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 55 |
勝ち | 45 |
KO勝ち | 30 |
敗け | 9 |
引き分け | |
無効試合 |
ラブモア・ヌドゥ(Lovemore N'dou、1971年8月16日 - )は、オーストラリアのプロボクサー。元IBF世界スーパーライト級チャンピオン。野性的な運動能力とバネを持ち、アフリカ出身のボクサーらしい野性味溢れるリズム感のあるボクシングをする選手である。「The black panther (黒豹) 」の異名を持つ。出身は南アフリカ共和国であるが、現在はオーストラリアに移住している。
目次 |
[編集] 来歴
1971年に南アフリカ共和国で生まれ、プロデビューも1993年4月11日に南アフリカ共和国においてであった。その後、主に祖国を主戦場としていたが1995年にオーストラリアで試合をする。同年に南アフリカ共和国スーパーフェザー級タイトル獲得に失敗すると、祖国を離れオーストラリアへの移住を考える。主戦場もオーストラリアに移し、2002年11月29日にはIBFパンパシフィックスーパーライト級タイトルを獲得する。同タイトルは3度防衛。
2004年2月7日、初めての世界タイトルマッチとしてシャンバ・ミッチェルとIBF暫定タイトルを争うが、12回判定負けしてしまう。同年5月8日にはラスベガスのMGMグランドでミゲール・コットの持つWBCインターナショナルのタイトルにも対戦するが、これも判定負けを喫する。しかし、この試合ではミゲール・コットを相手にいい内容の試合をしたこともあり、逆にアメリカのボクシングファンにヌドゥの名前を印象つけることになった。
2005年2月19日にジュニア・ウィッターとも対戦するが、これも僅差判定で敗れる。しかし、ヌドゥはIBFパンパシフィックの地域タイトルを防衛し続ける[1]ことによってIBFランキングは常に上位をキープした。そのため、2007年2月4日にIBFタイトルの指名挑戦権を獲得するが、ヌドゥとの指名試合をリッキー・ハットンが拒否したため[2]、IBFはリッキー・ハットンのタイトルを剥奪し2月12日にヌドゥが正規王者の認定を受けた。
しかし、同年6月16日の初防衛戦でアメリカ合衆国のポール・マリナッジに12回3-0判定で敗れ、王座陥落した。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 脚注
- ^ ヌドゥはIBFパンパシフィックのタイトルを2度獲得したが、1度目は防衛5回、2度目は防衛4回を数えた。
- ^ リッキー・ハットンは既にスケジュールされていたホセ・ルイス・カスティージョとの試合を優先させた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
空位 前タイトル保持者 リッキー・ハットン |
第22代IBF世界スーパーライト級王者 |
次王者 ポール・マリナッジ |