ラバー・マジェール
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ラバー・マジェール | ||
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名前 | ||
愛称 | 踵の魔術師 | |
カタカナ | ラバー・マジェール | |
ラテン文字 | Rabah MADJER | |
アラビア語 | رابح ماجر | |
基本情報 | ||
国籍 | アルジェリア | |
生年月日 | 1958年2月15日 | |
出身地 | フセイン・デイ | |
身長 | 178kg | |
体重 | 69kg | |
選手情報 | ||
ポジション | FW
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代表歴 | ||
出場 | 87 | |
得点 | 40 | |
ラバー・マジェール(رابح ماجر, Rabah Madjer、1958年2月15日 - )は、アルジェリア出身のサッカー選手、サッカー指導者。アルジェリアサッカー史上最も偉大な選手とされる。ヒールキックが得意であったため、タロンナード(Talonnade=踵の魔術師)と呼ばれた。
アルジェリア代表として1978年から1992年までの14年間プレイして、1982年および1986年ワールドカップに出場した。87試合で40得点を挙げ、アルジェリア代表での最多得点者になっている。1982年ワールドカップで西ドイツ代表を2-1で破った試合での最初のゴールは、彼の最も有名なゴールである。
地元クラブやフランスのクラブを経て、FCポルトに移籍。1986/87シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では、ヒールキックのゴールを決めて同点とし、直後に決勝点をアシストして優勝に貢献。この活躍から同年のアフリカ年間最優秀選手賞に輝いている。
1987/88シーズンはトヨタカップ、ポルトガルリーグに優勝。その後バレンシアCFを経てポルトに戻り、1990/91シーズンを最後に引退した。引退後は監督の道に進み、アルジェリア代表監督にもなった。
[編集] 選手経歴
- オナレ・フセイン・デイ(アルジェリア)1972-1973
- NAフセイン・デイ(アルジェリア)1973-1983
- ラシン・パリ(フランス)1983-1985
- トゥールFC(フランス)1985
- FCポルト(ポルトガル)1985-1988
- バレンシアCF(スペイン)1988
- FCポルト(ポルトガル)1988-1991
[編集] 指導経歴
- アルジェリア代表: 監督 1993-1994
- アル・ワクラ(カタール): 監督 1998-1999
- アルジェリア代表: 監督 1999-2002
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