モントローズ侯爵ジェームス・グラハム
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モントローズ侯爵ジェームス・グラハム(James Graham, 5th Earl of and 1st Marquess of Montrose、1612年 - 1650年5月21日)は、清教徒革命期のスコットランド貴族である。国民盟約の成立に主導的役割をはたし、盟約派、のち国王派としてスコットランド内戦の戦いを指揮した。
1626年父モントローズ伯爵の死によって襲爵し、セントアンドリューズ大学に学んだ。17歳でマグダレーナ・カーネギーと結婚した。
チャールズ1世のイギリス国教会形式の祈祷書実施に強く反発し、有志をつのり国民盟約を結成してスコットランドを平定した。その後盟約派は二派に分かれ、スコットランドの自治を主張する者(強硬派)と長老制教会制度さえ確保できれば国王のもとにあるべきとする者(穏健派)に分裂し、モントローズ侯は穏健派の代表格であった。
盟約派内の対立は内戦になり、モントローズら盟約穏健派は国王側についた。インヴァロッヒーの戦い・キルシスの戦いなどで連戦連勝を重ねたが、イングランド議会軍の後押しを受けたリーヴン伯の軍にフィリップホフで敗れ、大陸に亡命した。
チャールズが処刑されると、モントローズは1650年、皇太子チャールズのためにオークニー諸島で挙兵した。しかし皇太子の裏切りにあって孤立し、カービーズデールで盟約軍の奇襲を受けて捕えられ、エディンバラでアーガイル侯によって処刑され、遺体は各地にばらばらに分散された。王政復古ののち、遺体は集められて英雄とされた。