マーク・ケアー
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マーク・ケアー | ||||||||
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基本情報 | ||||||||
本名 | ||||||||
通称 | ザ・タイタン(The Titan) 霊長類ヒト科最強の男 |
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国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||
誕生日 | 1968年12月21日(39歳) | |||||||
出身地 | アメリカ合衆国 オハイオ州 |
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所属 | チーム・ケアー | |||||||
身長 | 185cm | |||||||
体重 | 115kg | |||||||
階級 | ヘビー級 (PRIDE、UFC) |
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スタイル | レスリング | |||||||
テーマ曲 |
マーク・ケアー(Mark Kerr、1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の総合格闘家。チーム・ケアー所属。
目次 |
[編集] 来歴
レスリング時代は全米王者になるなどマーク・コールマン、カート・アングルらと共に活躍。
UFCにおいてUFC 14およびUFC 15でヘビー級トーナメントを2連覇した後、1998年3月15日、PRIDE.2におけるブランコ・シカティック戦でPRIDEデビュー。
人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられたが、1999年9月12日のPRIDE.7でイゴール・ボブチャンチンにグラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。試合後、反則である4点ポジションでの膝蹴りとの判断でノーコンテストと変更されたが、精彩を欠き始めた。
スタミナと体重があり、打撃が得意ではないため、グラウンドでじっくり攻めることが多い。それが「消極的行為」と主催者や一部マスコミから叩かれてしまったことからファイトスタイルを変更した。
2001年7月29日、PRIDE.15でヒース・ヒーリングにTKO負け。その後ZERO-ONEでプロレスの試合を数試合行った後、PRIDEはおろか、マット界から数年姿を消した。この間に、自身の麻薬中毒経験がアメリカのドキュメンタリー映画「The Smashing Machine」で明かされ、大きな反響を呼んだ。
2004年のPRIDE.27で復帰し山本宜久と対戦するも、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神するという、前代未聞の負け方を喫した(プロレス技のDDT)。敗北自体はケアーの自滅という側面が強いが、かつてのパワーの源であった筋骨隆々の肉体は、薬物乱用と長期のブランクにより弛んで矮小化してしまっており、往年の姿を知る人間にとっては見るも無残な姿であった。
2006年にアメリカの大会で復帰が決定したが、怪我で欠場。同年11月にIFLに出場したがレフェリーストップにより敗北。
2007年2月10日、イギリスの総合格闘技大会Cage Rageでムスタファ・アルタークと対戦するも、パウンドを浴びタップアウト負け。
[編集] 戦績
総合格闘技 戦績 | ||||||
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23 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
15 勝 | 4 | 7 | 2 | 2 | 0 | 1 |
7 敗 | 3 | 2 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | オレッグ・タクタロフ | 1R 1:55 膝十字固め | Yamma Pit Fighting | 2008年4月11日 |
○ | Chuck Huus | 1R 2:41 キーロック | CCCF - Battle on the Border | 2008年3月29日 |
○ | Steve Gavin | 1R 1:39 アームロック | WCO - Kerr vs. Gavin | 2007年11月7日 |
× | ムスタファ・アルターク | 1R 2:29 TKO(パウンド) | Cage Rage 20: Born 2 Fight | 2007年2月10日 |
× | マイク・ホワイトヘッド | 1R 2:40 TKO(パウンド) | IFL | 2006年11月2日 |
× | 山本宜久 | 1R 0:10 TKO(DDT) | PRIDE.27 | 2004年2月1日 |
× | ヒース・ヒーリング | 1R 4:54 TKO(膝蹴り) | PRIDE.15 | 2001年7月29日 |
× | イゴール・ボブチャンチン | 延長R終了 判定0-3 | PRIDE.12 | 2000年12月23日 |
○ | ボリショフ・イゴリ | 1R 2:06 ネックロック | PRIDE.10 | 2000年8月27日 |
× | 藤田和之 | 15分1R終了 判定0-3 | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年5月21日 |
○ | エンセン井上 | 15分1R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 【1回戦】 |
2000年1月30日 |
- | イゴール・ボブチャンチン | 2R 4:45 無効試合 | PRIDE.7 | 1999年9月12日 |
○ | 高田延彦 | 2R 3:04 アームロック | PRIDE.6 | 1999年7月4日 |
○ | ウゴ・デュアルチ | 3R 2:32 KO(パウンド) | PRIDE.4 | 1998年10月11日 |
○ | ペドロ・オタービオ | 2R 2:13 アームロック | PRIDE.3 | 1998年6月24日 |
○ | ブランコ・シカティック | 1R 2:14 反則(ロープ掴み) | PRIDE.2 | 1998年3月15日 |
○ | ドゥエイン・ケイソン | 0:54 チョークスリーパー | UFC 15: Collision Course 【ヘビー級トーナメント 決勝】 |
1997年10月17日 |
○ | グレッグ・ストット | 0:19 KO(膝蹴り) | UFC 15: Collision Course 【ヘビー級トーナメント 1回戦】 |
1997年10月17日 |
○ | ダン・ボビッシュ | 1:39 ギブアップ | UFC 14: Showdown 【ヘビー級トーナメント 決勝】 |
1997年7月17日 |
○ | モティ・ホーレンスタイン | 2:23 TKO(打撃) | UFC 14: Showdown 【ヘビー級トーナメント 1回戦】 |
1997年7月17日 |
○ | ファービオ・グージェウ | 30分終了 判定3-0 | World Vale Tudo Championship 3 【決勝】 |
1997年1月19日 |
○ | メストレ・フッキ | 2:36 KO(グラウンドパンチ) | World Vale Tudo Championship 3 【準決勝】 |
1997年1月19日 |
○ | ポール・ヴァレランス | 2:06 TKO | World Vale Tudo Championship 3 【1回戦】 |
1997年1月19日 |
[編集] 獲得タイトル
- World Vale Tudo Championship 3 優勝(1997年)
- UFC 14、UFC 15ヘビー級トーナメント優勝(1997年)
- 第2回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝(1999年)
- 第3回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝(2連覇)、無差別級 優勝(2000年)