マイケル中村
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MICHEAL(マイケル中村) Micheal Nakamura 北海道日本ハムファイターズ No.36 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 / オーストラリア (二重国籍) |
出身地 | 奈良県 |
生年月日 | 1976年9月6日(31歳) |
身長 体重 |
178cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年 4巡目 |
初出場 | NPB / 2005年3月29日 |
年俸 | 1億5,600万円(2008年) |
経歴 | |
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マイケル中村(マイケルなかむら、Micheal Nakamura、1976年9月6日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。登録名は「MICHEAL」(マイケル)。
目次 |
[編集] データ
- 球歴:ウェズリー・カレッジ高校-サウスアラバマ大学-フォートウェイン・ウィザーズ(ミネソタ・ツインズA)-フォートマイヤーズ・ミラクル(同A+)-ニューブリテン・ロックキャッツ(同AA)-エドモントン・トラッパーズ(同AAA)-ツインズ-シラキューズ・スカイチーフス(ブルージェイズAAA)-ブルージェイズ-北海道日本ハム
- ドラフト年度・順位
[編集] ピッチング
[編集] 来歴・人物
本名は「マイケル・ヨシヒデ・中村(Micheal Yoshihide Nakamura)」。漢字名は「中村吉秀」。日本人の父とヨーロッパ系オーストラリア人の母をもつ。3歳の時にオーストラリアに渡り、その後メジャーリーグを目指し渡米した。メジャーリーグでは元チームメイトの新庄剛志と対戦経験がある。
2004年に日本ハムと千葉ロッテマリーンズの入団テストを受け、日本ハムがドラフト会議で4巡目に指名した[1]。入団後、登録名をMICHEALとした[2][3]。
- 外国生活が長く日本語は苦手で、普段は英語で喋るため通訳を用いている。
- メジャー時代、ニューヨーク・ヤンキース1年目の松井秀喜にオープン戦初安打を許した。
- 本人の公式ブログによると、2007年は“A.S.K”のラバーバンドを左腕につけていた。これは聖書(マタイによる福音書7章7節)の「求めよ、さらば与えられん」の略。
- 2006年同僚の武田久と共に「HAMの方程式」(Hisashi And Micheal)、岡島秀樹(2006年オフにボストン・レッドソックスに移籍)も加わると「TOMの方程式」(Takeda, Okajima, Micheal)と呼ばれていた。
- 苦手な食べ物は納豆。
[編集] プロ入り後
3月29日の西武ライオンズ戦で初登板。5月後半から22イニング連続無失点の好投を続け、抑えの横山道哉につなぐセットアッパーとして1年目から活躍した。しかし腰痛のため離脱し、後半はほとんど登板できずに終わった。32試合に登板して防御率2.31の成績を残した。
開幕から抑えに抜擢され、開幕2連戦でともにセーブを記録し、チームの12年ぶり開幕2連勝に貢献した。9月8日のオリックス・バファローズ戦で1983年の江夏豊に並ぶ球団タイ記録の34セーブ、9月27日の福岡ソフトバンクホークス戦では2002年・2003年に豊田清(当時西武)が記録したパシフィック・リーグ記録を更新する39セーブを記録した。日本シリーズでも3セーブを挙げた。
不動の抑えとしてセーブを重ね、56試合に登板して3年連続防御率2点台、34セーブを挙げた。
[編集] タイトル
[編集] 記録
[編集] 初記録
- 初登板:2005年3月29日、対西武2回戦(札幌ドーム) - 7回表二死に2番手として登板、打者:高木大成
- 初奪三振:2005年4月13日、対西武6回戦(インボイスSEIBUドーム) - 9回裏二死、打者:小関竜也
- 初セーブ:2005年5月3日、対西武7回戦(インボイスSEIBUドーム)
- 初勝利:2005年5月7日、対阪神2回戦(札幌ドーム) ※
- 初ホールド:2005年5月25日、対広島東洋2回戦(広島市民球場) ※
- ※はセ・パ交流戦
[編集] その他記録
- パシフィック・リーグシーズン最多セーブ
- 39セーブ(2006年)
- 2年連続30セーブ以上
- (2006年~2007年)
- 12回延長継投ノーヒットノーラン
- 2006年4月15日、対福岡ソフトバンク4回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)にて八木智哉、武田久とともに達成。この3人で福岡ソフトバンク打線を延長12回まで無安打・無得点に抑えた。内訳は八木1~10回、武田11回、マイケル12回。「3投手の継投によるノーヒットノーラン」「延長戦の継投によるノーヒットノーラン」はともに日本プロ野球史上初。
[編集] 年度別投手成績
年度 | 登板 | 投球回 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 与死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
05年 | 32 | 46 2/3 | 3 | 0 | 1 | 32 | 2 | 8 | 2 | 47 | 12 | 12 | 2.31 |
06年 | 64 | 65 2/3 | 5 | 1 | 39 | 55 | 5 | 20 | 4 | 67 | 16 | 16 | 2.19 |
07年 | 56 | 58 1/3 | 1 | 1 | 34 | 42 | 4 | 14 | 4 | 49 | 15 | 14 | 2.16 |
通算 | 152 | 170 2/3 | 9 | 2 | 74 | 129 | 11 | 42 | 10 | 163 | 43 | 42 | 2.21 |
※太字はリーグ最高。
[編集] 登場曲
- TO BY MAC 『BURN FOR YOU』
[編集] 脚注
- ^ 日本国籍を持ち、かつ日本のプロ野球でプレーした経験がなかったため、獲得するためにはドラフト会議で指名する必要がある。
- ^ 登録名は「MICHAEL」ではなく、「MICHEAL」である。インタビュー等で本人は「父親が間違えたんじゃないですかね」と答えているが、父親によると「ローマ字読みでも読みやすいように付けた」。
- ^ アルファベット7文字という登録名は、環境によっては字数制限等のため正しく表記されないことがあり、西武ドームの電光掲示板では「MICHEL」と表記されていたことが確認されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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監督 |
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88梨田昌孝 |
コーチ |
78福良淳一(ヘッド)|74厚沢和幸(投手)|81吉井理人(投手)|77中島輝士(打撃)|82平野謙(打撃)|89真喜志康永(内野守備)|87清水雅治(外野守備走塁) |
二軍監督・コーチ |
72水上善雄(監督兼内野守備)|80野村収(投手)|73島崎毅(投手)|71山中潔(バッテリー)|76大村巌(打撃)|83荒井幸雄(打撃)|75川名慎一(外野守備走塁) |
投手 |
11ダルビッシュ有|12歌藤達夫|13須永英輝|14グリン|16多田野数人|17宮本賢|18藤井秀悟|19中村泰広|20糸数敬作|21武田久|22建山義紀|25宮西尚生|27江尻慎太郎|28金澤健人|29八木智哉|30坂元弥太郎|34吉川光夫|35木下達生|36マイケル中村|38武田勝|42スウィーニー|43星野八千穂|44山本一徳|46植村祐介|47菊地和正|48津田大樹|49内山雄介|57松山傑|59金森敬之|60伊藤剛|66ダース・ローマシュ匡|67豊島明好|68浅沼寿紀 |
捕手 |
2高橋信二|32中嶋聡(バッテリーコーチ兼任)|37小山桂司|56駒居鉄平|62今成亮太|63渡部龍一|64鶴岡慎也 |
内野手 |
3田中賢介|4飯山裕志|5稲田直人|6中田翔|8金子誠|9小田智之|23尾崎匡哉|24陽仲壽|31小谷野栄一|33三木肇|39ボッツ|45今浪隆博|50市川卓|58高口隆行 |
外野手 |
1森本稀哲|7坪井智哉|10スレッジ|26糸井嘉男|40金子洋平|41稲葉篤紀|51村田和哉|52紺田敏正|53工藤隆人|54大平成一|55佐藤吉宏|65鵜久森淳志 |
北海道日本ハムファイターズ 2004年ドラフト指名選手 |
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1巡目:ダルビッシュ有 / 3巡目:橋本義隆 / 4巡目:マイケル中村 / 5巡目:市川卓 / 6巡目:菊地和正 7巡目:中村渉 / 8巡目:鵜久森淳志 / 9巡目:工藤隆人 |