ポカイア
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ポカイア(フォカエア(Phocaea, ギリシア語:Φκαια)は、イオニア人の古代都市(現フォチャ)。地中海の西側に冒険し、マッサリア(現フランス、マルセイユ。紀元前600年)、エンポリオン(現スペイン、エンプリエス。紀元前575年)、エレア(現イタリア、ヴェリア。紀元前540年)といった植民地を作った。
古代ギリシアの地理学者パウサニアスは、アテナイがポーキス人にポカイアを作らせたと言っている。その土地はアイオリスの都市であるキュメ人から譲られた土地だった。最後のアテナイ王コルドスの血筋を引く者を王として受け入れることで、ポカイアはイオニア同盟に加盟を許された[1]。現存する陶器から、紀元前9世紀にはまだアイオリス人がいたことは明らかで、イオニア人の入植は早くても紀元前9世紀の後半のことだろうと考えられている[2]。
ヘロドトスによると、ポカイア人は長期間の航海を達成した最初のギリシア人で、アドリア海、エトルリア、スペインの海岸を発見した。さらにヘロドトスは、ポカイア人はタルソテス(現スペイン、アンダルシア州)のアルガントニオスに強い印象を与えたと言う。王はポカイア人たちにその地に定住するよう誘った。ポカイア人が辞退すると、町の城壁を作るためのたくさんの金を与えたということだ[3]。
ポカイア人の航海は広範囲に及んだ。南は、おそらくエジプトにあったミレトスの人植民地ナウクラティスと交易を、北は、黒海のアミソス(現サムスン)や、ヘレースポントス海峡(現ダーダネルス海峡)の北端ランプサクスの植民の手伝いを、それぞれ行ったものと思われる。しかし、ポカイアの重要な植民地は西にあった。フランスのコルシカ島アレリア、マッサリア(現マルセイユ)、スペインのエンポリオン(現エンプリエス)などである。[4]
ポカイアはリディア王クロイソスの統治期(紀元前560年 - 紀元前545年)までは、他のイオニア諸都市同様、リディアの支配下にあったものの、自治は維持していた。[5]しかし、紀元前546年、ペルシアの大キュロスがリディアを滅ぼし、ポカイアはペルシアに支配されることになった。ペルシアに服従するのを嫌って、ポカイア人たちは町を出て行った。キオス島に逃げた者もあれば、地中海のコルシカなどの植民地に移民したものもいただろう。イタリアに植民地エレアを建設したのは、ちょうどこの頃(紀元前540年頃 )のことである[6]。しかし、何人かはポカイアに戻ってきた。
紀元前500年に起きたイオニアの反乱に、ポカイアも加わった。海軍力に大胆さを見せ、、紀元前494年、イオニア艦隊を率いてラデ沖の戦いに臨むことになった[7]。しかし、資金が尽き、全353の軍艦のうち、僅か3艦しかポカイアは揃えられなかった[8]。イオニア艦隊は敗北し、それからまもなく反乱も幕を閉じた。
紀元前480年にペルシア王クセルクセス1世がギリシアに敗北し、アテナイが勢力を伸ばした。ポカイアはアテナイに2タラント貢いで、デロス同盟に加わった。しかし紀元前412年のペロポネソス戦争では、ポカイアは他のイオニア諸都市に逆らって、スパルタを応援した。
ヘレニズム期、ポカイアはセレウコス朝、続いてアッタロス朝ペルガモン王国に支配された。ベネデット・ザッカリーア(ジェノヴァ提督。ビュザンティオン大使。1235年 - 1307年)はポカイアを支配して、かなりの財産を貯えた。
リディア人に続いて、ポカイア人はかなり早い時期から貨幣としてコインを作っていた。そのコインは銀と金(きん)を混ぜたエレクトラム(琥珀金)だった。大英博物館には、紀元前600年から紀元前500年の間に作られた、紋章の描かれた(ギリシアでは紋章のことを phoca という)ポカイアのコインがある[9]。
[編集] 参考文献
- Herodotus, The Persian Wars, Translated by A. D. Godley, (Loeb Classical Library, Nos. 117-120), Cambridge, MA, Harvard University Press (1920) ISBN 0-674-99130-3 ISBN 0-674-99131-1 ISBN 0-674-99133-8 ISBN 0-674-99134-6
- Pausanias, Description of Greece, Books I-II, translated by Horace Leonard Jones; Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press; London, William Heinemann Ltd. (1918) ISBN 0-674-99104-4.
- Pliny the Elder, The Natural History (Eds. John Bostock, M.D., F.R.S. H.T. Riley, Esq., B.A.) London. Taylor and Francis, Red Lion Court, Fleet Street. (1855)
- Stillwell, Richard, The Princeton Encyclopedia of Classical Sites, (Editors: Richard Stillwell, William L. MacDonald and Marian Holland McAllister) (1976) ISBN 0-691-03542-3