ボレスワフ4世
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ボレスワフ4世 (Bolesław Kędzierzawy、1120年 - 1173年1月5日)は、ポーランド大公。
ボレスワフ3世と二度目の王妃サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲンの子として生まれた。
父が死ぬと、シレジア公で異母兄のヴワディスワフ2世がポーランド大公となった。若いボレスワフはマゾヴィアとクヤヴィアを継承し、マゾヴィア公となった。
1146年にヴワディスワフ2世を追放すると、クラクフ領を継承し、ボレスワフ自身がポーランド大公となった。彼の息子レシェックがマゾヴィア公を継承したのみで、クラクフとグニェズノを継承したのはボレスワフ3世の同母弟ミェシュコ3世であった。
[編集] 子女
1137年、プスコフ公ヴセヴォロドの娘ヴィエルチョスワヴァ・ノヴォグロズカ(pl:Wierzchosława Nowogrodzka)と結婚。
- ボレスワフ(1172年没)
- 娘
- レシェック (マゾヴィア公)(1186年没)
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