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ボツリヌストキシン - Wikipedia

ボツリヌストキシン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボツリヌストキシン (Botulinum toxin) は分子量が15万ほどの蛋白質で、ボツリヌス菌が産生する毒素である。ボツリヌス毒素とも呼ばれる。

ボツリヌストキシンの分子構造
ボツリヌストキシンの分子構造

ボツリヌス菌食中毒の原因となり、極めて毒性が強い。(致死量:ヒトに対しA型毒素を経口投与した場合、体重1kgあたりの致死量が1μg[1] と推定されている。マウスに対する最小致死量 (MLD) は 0.0003 μg/kg[2]。)しかし、加熱するかアルカリで処理すると失活して毒性がなくなるため、十分加熱すれば安全である。(ただし、ボツリヌス菌の芽胞は耐熱性を持つ)ボツリヌストキシンは毒素の抗原性の違いによりA~G型に分類されるが、サルへの経口投与によるデータではB型毒素への感受性が最も高い。毒素としてはテタノスパスミンをも上回る毒性を持つと言われている。

ボツリヌストキシンは神経筋接合部などでアセチルコリンの放出を妨げる働きをするが、作用は末梢性に限られ、筋弛緩・鎮痛作用などが確認されている。中毒症状としては、消化器症状(下痢悪心嘔吐など、ただし毒素の作用ではない)に続き、めまい頭痛や視力低下・複視などを起こし、その後自律神経障害、四肢麻痺に至る。

中毒患者は、ギラン・バレー症候群と誤診される場合があるが、脳脊髄液の検査で判別できる。

平成19年6月1日施行の感染症法に基づき、検査、治療、医薬品その他厚生労働省令で定める製品の製造又は試験研究目的にボツリヌス菌・毒素を所持する者は、「感染症発生予防規程の届出」「病原体等取扱主任者の選定」「教育訓練」等が義務づけられている。なお、医療目的で通常用量の所持の場合は、同法の対象にならない。

目次

[編集] 作用メカニズム

ボツリヌストキシンは、分子量約15万のタンパク質であり、細胞外に分泌された後に、菌自身のプロテアーゼまたは動物消化管トリプシンによって、分子量約5万の活性サブユニット(Aサブユニット、軽鎖)と、約10万の結合サブユニット(Bサブユニット、重鎖)とに切断される[3]。この両者がジスルフィド結合によって一分子ずつ結合した、AB型毒素に分類される細菌外毒素である。活性サブユニットが、毒素の本体である亜鉛結合性の金属プロテアーゼであり、結合サブユニットは標的となる神経細胞表面に特異的に存在する特定のタンパク質(毒素受容体となる)との結合に関与する。

体内に取り込まれた毒素が神経筋接合部に到達すると、神経細胞側の細胞膜シナプス前膜)に存在する毒素受容体タンパク質と、毒素の結合サブユニットが結合する。結合した毒素はエンドサイトーシスによって、分泌小胞様の小胞の内部に取り込まれ、神経細胞内でこの小胞の内部が酸性化すると、サブユニットが切断されて、細胞質内に活性サブユニットが遊離する。

神経細胞の内部には、アセチルコリンなどの神経伝達物質を内包する、脂質二重膜で覆われたシナプス小胞が存在する。神経細胞が興奮すると、このシナプス小胞がシナプス側の細胞膜の方に移動し、細胞膜と膜融合を起こすことで、小胞内部の神経伝達物質シナプス間隙に放出される。この膜融合には、シナプス小胞の表面のシナプトブレビン(VAMP/Synaptobrevin)、細胞膜側にある、シンタキシン (Syntaxin) および SNAP-25という、SNAREタンパク質とよばれる3つのタンパク質が関与しており、この3つが会合することによって膜融合と、神経伝達物質の放出が行われている。

細胞質に遊離したボツリヌストキシンの活性サブユニットは、この3つのSNAREタンパク質を標的として特異的に切断し、破壊してしまう。SNAREタンパク質のいずれかが破壊されると、シナプス小胞と細胞膜の膜融合が起こらなくなり、神経伝達物質の放出が阻害される結果、神経伝達が遮断される。これがボツリヌストキシンの作用メカニズムである。ボツリヌストキシンが標的とするタンパク質は、毒素の種類によって異なっており、B,D,F,G型毒素はシナプトブレビンを、A,E型毒素はSNAP-25を、C型毒素はSNAP-25とシンタキシンを、それぞれ切断する[4]

この、神経細胞のSNAREタンパク質を標的に切断するという機構は、同じクロストリジウム属である破傷風菌の毒素(テタノスパスミン)と共通の機構であるが、ボツリヌストキシンの作用は神経筋接合部に限られるのに対して、テタノスパスミンはより上位の神経に到達して作用する。これは神経細胞内に取り込まれる際、受容体タンパク質の違いによって、取り込まれる小胞の種類に差があるからだと考えられている[5]。それぞれの受容体タンパク質の全容は明らかではないが、ボツリヌストキシンではシナプトタグミンと呼ばれる、シナプス前膜とシナプス小胞内部に発現するタンパク質が受容体になることが明らかになっており、小胞膜の脂質やタンパク質を再回収するための小胞に毒素が取り込まれると考えられている。この小胞は細胞内で速やかにその内部の酸性化を起こすため、ボツリヌストキシンは最初に取り込まれた末梢部だけで作用すると考えられている。これに対して、テタノスパスミンを取り込んだ小胞はすぐには酸性化されずに、軸索に沿って逆行性に輸送され、神経細胞の細胞体のある脊髄海馬に到達して作用する。また、ボツリヌストキシンが血液脳関門を通過できないことも、作用が末梢性に限られる理由にあげられる。

培養液中や汚染食品中では、ボツリヌストキシンの毒素蛋白は1あるいは4種類の無毒蛋白と会合し、複合体を形成する。この複合体をプロジェニター毒素あるいはボツリヌス毒素複合体と呼ぶ。ボツリヌス毒素中の毒素蛋白は、動物の消化器官において分解されやすく不安定であるが、複合体を形成することで、消化器官内での分解作用から保護されていると考えられている。

[編集] 開発の歴史

[編集] 兵器

ボツリヌストキシンの研究は第二次世界大戦当時に進展した。生物兵器としての研究であり、精製法についてはこの時期に確立されている。「細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約」(生物兵器禁止条約)が発効した1975年以降は開発・生産・貯蔵・輸出入が国際的に制限されているが、湾岸戦争時代にイラクが兵器として保有していたのをはじめ、テロリストに保有されやすい側面を持つ。しかしながら、オウム真理教が実験に失敗したことが示すように、エアロゾル化して散布したとしても1分間に数%ずつ失活していく[6]ことや、気象条件に左右されること等から兵器としての実用性は疑問視される部分もある。

[編集] 医薬品

医療用医薬品としては Alan B. Scott により、斜視に対し極めて微量のA型毒素が使用されたのを初め、2006年現在、75ヵ国で様々な疾患に用いられている。

日本国内においてはA型ボツリヌス毒素製剤(商品名:ボトックス、Botox)が注射剤として、1996年に眼瞼痙攣、2000年に片側顔面痙攣、2001年には、痙性斜頸の適応で承認されている。また、2006年まで、B型ボツリヌス毒素の臨床試験も行われていた。米国においては、斜視、痙性斜頸、眼瞼痙攣に加え、多汗症の適応に承認されている。

近年では医療用としてだけでなく、美容外科領域において筋弛緩作用を応用した「皺取り」や「輪郭補正(エラ取り)」の目的で使用されていることが多い。加えて、過活動性膀胱アカラシアの治療にもボツリヌストキシンの局所注射が有効というデータがある。ただし、これらに関してはいずれも日本で正式に承認を受けていない。

[編集] ボトックス®の日本以外における適応取得状況(抜粋、2005年)

  • オーストラリア-眼瞼痙攣、片側顔面痙攣、第7脳神経障害(12歳以上)、小児脳性麻痺による下肢痙縮(2歳以上)、痙性斜頸、腋窩の多汗症、眉間の皺、痙縮(成人)、痙攣性発声障害、斜視
  • カナダ-斜視、眼瞼痙攣、第7脳神経障害(12歳以上)、痙性斜頸(成人)、小児脳性麻痺による下肢痙縮、多汗症、脳卒中後の下肢痙縮
  • チリ-斜視、眼瞼痙攣、第7脳神経障害(12歳以上)、脳性麻痺、痙縮(成人)、振戦ジストニアミオクローヌス、片側顔面痙攣、痙性斜頸、発声障害、痙性障害、攣縮に伴う背部・頸部・脊椎痛、歯軋り
  • フランス-眼瞼痙攣、片側顔面痙攣、痙性斜頸、眼球運動障害(斜視、動眼神経麻痺および甲状腺神経障害)、小児脳性麻痺による下肢痙縮(2歳以上)、脳卒中後の下肢痙縮、腋窩の多汗症
  • ドイツ-眼瞼痙攣、片側顔面痙攣、痙性斜頸、小児脳性麻痺による下肢痙縮(2歳以上)、脳卒中後の上肢痙縮、腋窩の多汗症
  • イタリア-眼瞼痙攣、痙性斜頸、小児脳性麻痺による下肢痙縮(2歳以上)、片側顔面痙攣、脳卒中後の上肢痙縮、腋窩の多汗症
  • 韓国-斜視、眼瞼痙攣、第7脳神経障害(12歳以上)、脳性麻痺、痙性斜頸
  • メキシコ-斜視、眼瞼痙攣、片側顔面痙攣、脳性麻痺、痙性斜頸、片頭痛、膀胱排尿筋過活動、発声障害、多汗症、顔面の表情皺、筋の過緊張による背部痛、歯軋り裂肛、アカラシア、振戦、ミオクローヌス性障害
  • イギリス-眼瞼痙攣、片側顔面痙攣、痙性斜頸、小児脳性麻痺による下肢痙縮(2歳以上)、腋窩の多汗症、脳卒中後の上肢痙縮

[編集] 医薬品としての安全性

眼瞼痙攣に使用した場合に眼瞼下垂、痙性斜頸に使用した場合に嚥下障害などの報告がある[7]。一般的にボツリヌストキシンの有害事象は一過性で、筋弛緩作用が強く発現したことによるものが多い。有害事象の多くは薬理作用の減弱とともに回復する。注意すべきケースは頸部筋に施注する場合で、全身状態の悪い患者に用いた場合、嚥下障害が悪化することが稀にある。通常、医療目的では推定致死量の数百–数十分の一(注射にて換算)という微量を用いるが、用量設定を誤らない限りにおいては概して安全である。

[編集] 参考文献

  1. ^ JAMA 2001;285:1059-1070
  2. ^ Merck Index 13th ed., 1345.
  3. ^ 吉田眞一、柳雄介、吉開泰信編『戸田新細菌学』改訂33版、南山堂、2007年 ISBN 4525160135
  4. ^ Rossetto O, Seveso M, Caccin P, Schiavo G, Montecucco C. "Tetanus and botulinum neurotoxins: turning bad guys into good by research." Toxicon. 39 27-41 (2001) PMID 10936621
  5. ^ Montecucco C, Rossetto O, Schiavo G. "Presynaptic receptor arrays for clostridial neurotoxins." Trends Microbiol. 12 442-446 (2004) PMID 15381192
  6. ^ 米軍生物研究所公表資料、1964年
  7. ^ グラクソ・スミスクライン株式会社インタビューフォーム

[編集] 外部リンク


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