ヘルマン・ブルゴス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルマン・ブルゴス | ||
---|---|---|
名前 | ||
本名 | ヘルマン・アドリアン・ラモン・ブルゴス | |
愛称 | モノ (猿) | |
ラテン文字 | Germán BURGOS | |
基本情報 | ||
国籍 | アルゼンチン | |
生年月日 | 1969年4月16日(39歳) | |
出身地 | マル・デル・プラタ | |
身長 | 188cm | |
体重 | 90kg | |
選手情報 | ||
ポジション | GK | |
利き足 | 右足 | |
代表歴 | ||
1995-2002 | アルゼンチン | 35 (0)
|
ヘルマン・ブルゴス(German Adriman Ramón Burgos、1969年4月16日 - )は、アルゼンチン・マル・デル・プラタ出身の元同国代表サッカー選手(GK)。
とにかく見てるだけで楽しいゴールキーパー。服装からして長髪に赤いキャップ、そして長いジャージにソックスを重ねて履く。観客が試合中にモノのニックネームを馬鹿にするつもりで投げたバナナを食べる、試合中に脱臼しても、顔面セーブで鼻血を出しても、気合でプレーする。しかし安定感がなく、とても素晴らしいプレーをしたと思ったら、トンネルなどのポカをやらかすこともあり、その安定感のなさから、2002年の日韓ワールドカップでは正ゴールキーパーから落選してしまう。
しかし、そのブルゴスも2002-03シーズン途中、腎臓に癌が見つかり、摘出手術には成功するが、それ以降プレーは低迷し、2003-04シーズン終了後、「サッカーに対する情熱を失った。バンド活動に専念する」とブルゴスらしいコメントで引退表明。
ルイス・アラゴネス監督とは信頼関係で結ばれており、マリョルカ、アトレティコ・マドリーとアラゴネス子飼の選手であった。
[編集] 所属クラブ
- フェロカリル・オエステ(アルゼンチン)1989-1994
- リバープレート(アルゼンチン)1994-1999
- マリョルカ(スペイン)1999-2001
- アトレティコ・マドリー(スペイン)2001-2004
アルゼンチン代表 - 1998 FIFAワールドカップ | |
---|---|
1 ロア | 2 アジャラ | 3 チャモ | 4 ピネダ | 5 アルメイダ | 6 センシーニ | 7 C.ロペス | 8 シメオネ | 9 バティストゥータ | 10 オルテガ | 11 ベロン | 12 ブルゴス | 13 パス | 14 ビバス | 15 アストラーダ | 16 ベルティ | 17 カバジェロ | 18 バルボ | 19 クレスポ | 20 ガジャルド | 21 デルガド | 22 サネッティ | 監督 パサレラ |
アルゼンチン代表 - 2002 FIFAワールドカップ | |
---|---|
1 ブルゴス | 2 アジャラ | 3 ソリン | 4 ポチェッティーノ | 5 アルメイダ | 6 サムエル | 7 C.ロペス | 8 サネッティ | 9 バティストゥータ | 10 オルテガ | 11 ベロン | 12 カバジェロ | 13 プラセンテ | 14 シメオネ | 15 ウサイン | 16 アイマール | 17 G.ロペス | 18 キリ・ゴンサレス | 19 クレスポ | 20 ガジャルド | 21 カニーヒア | 22 チャモ | 23 ボナーノ | 監督 ビエルサ |