フォード・フォーカス
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フォード・フォーカス(Focus)は、フォード・モーターが製造・販売するセダン型、ハッチバック型、ワゴン型の自動車である。
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[編集] 歴史
[編集] 初代 (1998年-2005年)
1998年、ヨーロッパでフォード・エスコートの後継車として発表された。
フォルクスワーゲン・ゴルフやオペル・アストラなどのライバルと差別化するため、それまでのフォード車の印象を一新する、動感ある平面と鋭角で構成されたニュー・エッジ・デザインが特徴である。ボディ形状は3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、5ドアワゴン、そして4ドアセダンで構成される。
足回りに前マクファーソン・ストラット、後マルチリンク式サスペンションを特徴とした新開発プラットフォームを採用しての登場だった。その一方で、シートの着座地点を上げ、それに伴って視界や操作感覚などを改善した『コマンドポスト』コンセプトを採用するなど、人間工学面で当時の第一級水準の研究成果が盛り込まれていた。これらのデザインや設計、走行性能などは、Cセグメントの代名詞とも言えるゴルフと並び称され、イギリスの自動車専門誌AUTOCARは「ゴルフに代わる新しいベンチマークになった」と絶賛[要出典]。また、トヨタ・カローラ(開発者がフォーカスからの影響を証言している)やホンダ・シビックなど他のCセグメント車のコンセプトの方向性にも多大な影響を与えた[要出典]。
エンジンは当初、1.4L/1.6L/1.8L/2.0Lのガソリンエンジンと1.9Lのディーゼルエンジンが用意された。生産は主にスペインのバレンシア(日本仕様を生産)工場とドイツのザールルイス工場が担当した。
このフォーカスは批評家や自動車専門誌からの高い評価を背景に、1999年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーなど欧州各国のカーオブザイヤーを受賞した。同年メキシコの工場でも北アメリカの安全基準に合わせた改変の上で生産が開始されてアメリカ合衆国、カナダでも販売され、2000年に北米カーオブザイヤーを獲得した。但し、ヨーロッパと北米ではグレード名が異なり、当初、北米ではエンジンは2.0リットルのみ、5ドアも用意されていなかった。フロントウィンカーの位置や、内装のデザインなども異なっている。他に、アルゼンチンの工場でも生産される等、世界中で製造、販売された。
日本では、2000年3月に1.6Lの5ドアハッチバックと5ドアワゴンが輸入され、グレードは最高級仕様の「ギア(Ghia)」のみだったが、2000年10月、2.0L仕様も追加された。この年の日本カー・オブ・ザ・イヤーでは輸入車部門でメルセデス・ベンツ Cクラスに次ぐ2位の投票を得たが、日本におけるフォード車の販売台数と認知度を考えれば、かつてない高い評価だった言える。またこの2年間、シリーズ生産台数がゴルフを抜いて世界一にもなった。
2002年、フロントマスク等に変更が加えられ、アメリカでもその前年秋(2002モデルイヤー)から5ドアが追加された。 それと前後して、2リットルDOHCターボ搭載、各部を極限に改造した台数限定のスペシャルモデル「RS」、そして自然吸気2リットルDOHC搭載の「ST170」(6速MT搭載。アメリカ等では「SVT」)が登場している。日本へはRSは正式輸入されなかった(並行輸入で僅かに輸入されている)が、ST170はフォーカスのイメージリーダー的車種として年間台数を限定して導入された。日本では他にも、廉価版「GLX」やスポーティな「トレンド」(共にAT)が輸入された。
[編集] 2代目(2005年-)
2代目は2004年秋のモンディアル・ド・ロトモビルで発表された。初代フォーカスの斬新さを継承しつつ、さらに精悍さを増した印象のスタイルと、エンジニアが「初代モデルがベンチマークだという事を実感した」というシャーシ性能の進化、安全・快適装備の充実が眼目にあった。
「フォード・C1プラットフォーム」をマツダ・アクセラ、ボルボ・S40、ボルボ・V50と共有する。ボディ形状は初代同様3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、5ドアワゴン、そして4ドアセダンで構成される。「ST」と呼ばれるホットモデルも先代同様に用意され、ボルボの2.5L直列5気筒DOHCエンジンを独自に改良しターボを装着したエンジンを搭載している。これらのラインナップとは別に、「フォード・ストリートKa」を手がけたイタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナとの共同開発による「クーペ・カブリオレ」がある。
車体の幅が1.8mに至る(フォード・モンデオを上回る)など、車体が一回り大きくなった。ただしサイドミラーを含めた横幅に関しては若干縮まっている。
派生車種については、車高を高めたミニバンの「フォード・C-Max」がある。
日本では2005年7月より2Lモデルが発売開始。12月には1.6Lモデルが導入され、後に「ST」も発売開始された。「ST」については車体の色が標準で2種類しか無かったが、2006年に世界ラリー選手権(WRC)のイベント「ラリージャパン」に関連し、インターネットでの抽選で10台限定の「ダイヤモンドホワイト」仕様が発売。抽選にはBP-フォード・ラリーチームのエースドライバー、マーカス・グロンホルムが立ち会った。
一方、北米では初代モデルを基に、独自にモデルチェンジされ、2.3Lエンジンの追加、ダッシュボードの改変等が実施された。北米モデルは2007年1月の北米国際オートショーにて全く独自のデザインの新型が2008年型として発表されている。4ドアセダンと2ドアクーペが用意され、ハッチバックとワゴンはラインナップから外れる模様。
[編集] 競技用車両
ラリーカーとしても用いられることが多かったエスコートの後継車として、フォーカスはラリーカーのベースとして用いられた。特にWRC出場車両はフォーカスの利点であるバランスの取れたタイヤ配置、ボディ剛性などを生かし、開発を委託されたMスポーツの手により当時としては革新的な技術の数々を織り込んで1999年に実戦デビュー。初戦モンテカルロで好タイムを叩き出す(ただし技術上の違反で失格となってしまった)など驚きをもって迎えられた。しかし「重戦車」と揶揄されるほど車体が重く、重量バランスについてもほとんど考慮されていなかった(ジャンプで飛翔すると一気に前へ傾いてしまう)ことや、ターマック(舗装路面)における戦闘力の無さ、相次ぐ技術的トラブルなどから期待通りの結果は残せず、同時期に発表されたプジョー・206 WRCに引き離される結果となってしまう。
転機が訪れたのは2003年のことである。スバルから招聘したエンジニア、クリスティアン・ロリオーの指揮のもと、徹底的な軽量化と低重心化、高度な空力技術を施すことで本来持っていた潜在能力を引き出し、路面を問わずあらゆるイベントで成果を出す事に成功。タイトルこそ取れなかったものの、さらに革新的な技術を得たフォーカスに再び注目が集まり、他のラリーカーに多大な影響を与えた。なお、この2003年型フォーカス WRCはリアウィングの長さを確保する為に従来ベースとしていた欧州仕様ではなく北米仕様のフォーカスを用いた。現在も、初代フォーカス WRCはプライベーター(個人参戦者)を中心に根強い人気を集めている。
2005年に2代目が発売されたのを機に、ラリーカーのベースも2代目フォーカスSTをベースに作られるようになった。2代目フォーカスRS WRCはラリー・オーストラリアで試験的に実戦投入。2003年以後の軽量化・低重心化・空力技術路線をさらに推し進め、バンパーの下にスペアタイヤを収納するスペースを作り、その蓋すらも空力パーツとして使うという誰も思いつかなかったアイディアまで披露、より一層の注目を集めた。2代目フォーカスRS WRCは2006年から本格的に実戦投入されると着実に実績を積み重ね、フォードのマニュファクチャラーズ選手権優勝に大きく貢献することとなった。
なお、ラリー以外のモータースポーツにおいては欧米のサーキットレースなどで時折見かけることがある。そのほとんどがフォーカスSTやフォーカスSVTといったスポーツ仕様のものである。アメリカではフォーカスのエンジンのみを用いたミジェットカーレースのシリーズも存在している。