フィリップ (神聖ローマ皇帝)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリップ(Philipp von Schwaben 1178年 - 1208年6月21日)はホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(正確にはドイツ王、在位1198年 - 1208年)。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の末子。
当初は聖職にあり、ヴュルツブルク司教となっていたが、1191年頃還俗して、兄のシチリア遠征に従った。1196年にシュヴァーベン公になり、1197年に東ローマ皇帝イサキオス2世アンゲロスの娘でシチリア王ルッジェーロ3世妃だったイレーネー・アンゲリナと結婚した。
1197年、兄ハインリヒ6世が死去すると、幼少の甥フリードリヒ2世の後見者となったが、ヴェルフ家のオットー4世が帝位を主張し、ローマ教皇もこれを支持したため、幼いフリードリヒ2世では対抗できないと見たホーエンシュタウフェン家派の諸侯は、1198年にフィリップをドイツ王に推戴した。
その後、教皇インノケンティウス3世が推すオットー4世とフランス王フィリップ2世の支持を受けたフィリップの抗争は続いたが、1204年頃から形勢はフィリップに有利になり、1207年には抗争は終結に向かっていた。しかし1208年に、フィリップは娘の結婚問題からバイエルンの宮中伯オットーに殺害された。このため、神聖ローマ皇帝にはオットー4世が就くことになった。
なお、1201年頃に義弟にあたる東ローマ帝国の亡命皇子アレクシオス(アレクシオス4世アンゲロス)がフィリップの元に滞在していたが、同時期に第4回十字軍の指導者だったモンフェラート侯ボニファチオがフィリップを訪れており、この時にコンスタンティノープル攻撃が計画されたと推定されている。
|
|
|