ファラ・フォーセット
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ファラ・フォーセット (Farrah Fawcett,1947年2月2日 - )は、アメリカ合衆国の女優である。フォーセットは1970年代のポップ・カルチャーの肖像、およびセックスシンボルとして有名であり、1980年代のファッションとポップ・カルチャーに大きな影響を与えた。本名はファラ・レニ・フォーセット(Ferrah Leni Fawcett)。リー・メジャースと結婚していた一時期(後述)、ファラ・フォーセット・メジャース(Farrah Fawcett-Majors)の芸名で活動した。
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[編集] 人物・経歴
[編集] 生い立ち
フォーセットはテキサス州コープス・クリスティに生まれた。父親は石油業者で、妹が二人いる。子どもの頃は父親の奨励の元、天性の運動能力を発揮した。テキサス大学在学中に“キャンパス内で最も美しい10人”の一人に選ばれ、その写真がハリウッドのエージェントに送られたのがデビューのきっかけとなった。
[編集] キャリア
60年代後半から70年代前半にかけて、フォーセットはコマーシャルやテレビ番組にゲスト出演し、1969年には、クロード・ルルーシュ監督「あの愛をふたたび」で映画デビューを果たした。数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いたが、シャンプーのコマーシャルなどに出演するうちに、徐々に人気が上昇。1976年4月、ポスター会社がフォーセットの人気に目をつけ、彼女のポスターを制作した。フォーセットのエージェントは当初、商品宣伝用のポスター撮影だと思い、「何の商品を売るためのポスターなのか?」とポスター会社に尋ねた。それに対し、ポスター会社はこう答えた。「ファラ・フォーセットを売ります」。
1976年9月、フォーセットがジル・マンロー役を演じたテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」の第一シーズンの放映が始まった。同時に、フォーセットの水着姿のポスターが発売され、世界中で1,200万枚を売り上げた。彼女は“乱れたタテガミのようなヘアスタイルと美しい笑顔の憧れの人物”として知られるようになった。
「チャーリーズ・エンジェル」はビッグヒットとなったが、フォーセットはわずか1年間の出演ののち、映画界進出のために降板。彼女の早すぎる降板は訴訟沙汰となり、フォーセットは和解のため、第3シーズンと第4シーズンにゲストとして出演した。フォーセットの抜けた穴埋めに、第2シーズンからはジル・マンローの妹という設定で、シェリル・ラッドが出演した。
フォーセットは1984年のテレビ映画「The Burning Bed」で、虐待される妻というシリアスな役を演じ、エミー賞の3部門にノミネートされた。1986年には、レイプ被害者を演じた舞台「スズメバチ」の映画化作品「レイプ・殺意のエンジェル(別題「リベンジャー・殺意の女」)」で絶賛された。1989年のテレビシリーズ「Small Sacrifices」では人を喰いものにする役柄を演じ、エミー賞に二度目のノミネート。2004年には「The Guardian」でエミー賞に三度目のノミネートをされている。フォーセットは今までに、他にもいくつかの賞にノミネートされており、その中にはゴールデン・グローブ賞やACE賞も含まれている。
フォーセットは70年代、80年代を通して、映画や雑誌でヌードになることを拒み続けた。しかし、1995年に発行されたプレイボーイ誌でヌードを披露し、世間を騒がせた。その号は世界中で4千万部を売り上げ、1990年代に発行されたプレイボーイ誌のベストセールスを記録した。彼女は後に1997年の号でもヌードとなり、その号もまたトップセラーとなった。フォーセットはまた、2000年の映画「Dr.Tと女たち」(ロバート・アルトマン監督)でフルヌードを披露している。
[編集] 私生活
フォーセットは1973年に「600万ドルの男」で知られるリー・メジャースと結婚。芸名もファラ・フォーセット・メジャースとした。しかし1979年から別居生活となり、1982年に離婚した。
1980年からフォーセットはライアン・オニールと同棲し、1985年には息子のレドモンドが誕生した。二人は結婚しないまま17年の同棲生活を送ったのち破局したが、現在も友人関係は続いている。
フォーセットはオニールと別れたのち、1995年の映画「ママのフィアンセ/結婚に異議あり!」の監督、ジェームス・オアと交際したが、1998年、彼のプロポーズを拒絶した際、オアから酷い暴行を受け、オアは暴行罪で逮捕された。
1997年6月、フォーセットはテレビショーのインタビューでつじつまのあわないコメントを発して批判された。彼女の心ここにあらずといった支離滅裂な挙動は、麻薬の乱用によるものと憶測された。数ヶ月後、フォーセットはラジオ番組で、批判された彼女の挙動は、テレビ司会者とふざけてみただけだと弁明した。
2006年の前半、フォーセットは母親を失った痛手を癒している最中に、さらにいくつかの痛手に見舞われた。その中には、彼女のエージェントのジェイ・バーンスタイン、および心の師であるテレビプロデューサー、アーロン・スペリングの死も含まれていた。同年8月、彼女はコメディ・セントラルの「Roast of William Shatner」に参加。彼女は時に、ろれつが回らなかったり支離滅裂になったかのようで、ジョークを言うのに苦労しているように見えた。ジェフリー・ロスはベティ・ホワイトに「ファラ・フォーセットにジョークを教えてやってくれ」と頼んだ。
2007年2月2日、フォーセットは60歳の誕生日とガン克服を、長年の友人であるライアン・オニールと祝った。3日未明、パーティーから帰宅したオニールは、息子で俳優のグリフィン・オニールと口論の末、発砲して逮捕された。
[編集] ガンとの闘い
2006年、フォーセットは肛門ガンと診断され、10月に腫瘍摘出手術を受けた。「チャーリーズ・エンジェル」の初代エンジェル仲間、ジャクリーン・スミスとケイト・ジャクソンも、共に乳ガンを克服しており、フォーセットの闘病をサポートした。
2007年2月2日、フォーセットの60回目の誕生日に、AP通信はフォーセットが癌を克服したと伝えた。フォーセットは次のコメントを出した。「今日は私と私の家族にとって、とても幸福な日です。残念ながら病気と闘い続けなければならない方々に、私のニュースが何らかのインスピレーションを与えることができたらと願っています」
しかし、2007年5月、フォーセットは3ヶ月検診でガンが再発していることが判った。9月には、フォーセットはライアン・オニールに伴われて、治療のためにドイツに渡ることになったと報じられた。
[編集] 主な出演作品
- クックアウト - The Cookout (2004年)
- 堕ちた弁護士 -ニック・フォーリン- - The Guardian (2001年-2004年)テレビドラマ
- Dr.Tと女たち - Dr. T & the Women (2000年)
- レイプ・殺意のエンジェル - Extremities (1986年)
- ママのフィアンセ/結婚に異議あり! - Man of the House (1995年)
- キャノンボール - The Cannonball Run (1981年)
- スペース・サタン - Saturn 3 (1980年)
- サンバーン - Sunburn (1979年)
- シャレード'79 - Somebody Killed Her Husband (1978年)
- チャーリーズ・エンジェル - Charlie's Angels (1976年-1977年)テレビドラマ
- 2300年未来への旅 - Logan's Run (1976年)
- マイラ - Myra Breckinridge (1970年)
- あの愛をふたたび - Love Is a Funny Thing (1969年)