パルミラ環礁
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パルミラ環礁 (Palmyra Atoll) は中部太平洋北緯5度53分西経162度5分にある環礁。ハワイ諸島の南南西およそ 1600キロメートルに位置し、北ライン諸島に属する。
環礁の周囲はおよそ14.5キロメートルで、ウェストラグーン (West Lagoon) と呼ばれる礁湖は唯一停泊が可能である。広大な暗礁、二つの浅い礁湖、および50あまりの砂やリーフの小島や砂洲から成り、そのほとんどはココヤシ(外来種)、スカエボラ、ピソニアなどの植生に覆われている。
西端のサンド島と東端のバレン島を除き、全ての小島は繋がっている。最大の島は北側のクーパー島で、南側のカウラ島がそれに次ぐ。年間降水量は4445ミリメートル、日中の平均気温は年間を通じて摂氏29.4度ある。
[編集] 政治的位置づけ
パルミラはアメリカ合衆国編入領域 (incoperated Territory) であり、このことは合衆国憲法により永久にその主権下に置かれることを意味する。しかしながら、パルミラは同時に非自治的領域 (unorganized territory) でもあるので、合衆国議会によりどのように統治するかは定められていない。唯一の関連法規によれば、大統領が適切と考える方法で管理をおこなうこととされる。
原住民がおらず、将来も居住する者が現れる見込みがないパルミラの統治に関しては様々な議論があるため、現在でも合衆国唯一の非自治的・編入領域 (unorganized incorporated Territory) のままである。
また、パルミラは "The Nature Conservancy"(ネイチャー・コンサーバンシー) というNGOが所有し自然保護目的の管理を行っている私有地であるが、合衆国内務省島嶼局の管轄下にある。周囲12海里 (22.2キロメートル) の海域は内務省魚類野生生物局に移管され、2001年には「パルミラ環礁国立野生生物保護区」(Palmyra Atoll National Wildlife Refuge) に指定された。
防衛の責任は合衆国が持つ。
統計資料等では、パルミラはしばしば合衆国領有小離島に分類される。
[編集] 歴史
1798年にアメリカ人船長エドマンド・ファニングが発見したが、1802年には別のアメリカ船パルミラ号が来ている。そして1816年アメリカの捕鯨船が筏で漂流していたスペイン人船乗りを救助した。船乗りはインカ帝国の黄金の財宝を積んでいた海賊船エスペランサ号だと言った。エスペランサ号はパルミラ環礁で座礁し、仲間と略奪品を島に隠したと言う。
1862年にハワイ王国に併合され、1898年にアメリカがハワイを併合したことで、アメリカ領となると同時にハワイ人のフラード・レオ家の所有する事になる。だが同家も、この島を第二次世界大戦中にアメリカ海軍に接収されてしまう。アメリカ海軍は太平洋横断の輸送機用の滑走路や港を建設した。だがアメリカ海軍は終戦後に放置状態にした。しかし軍は手放したがらなかったため、フラード・レオ家は返還を求めて争いアメリカ連邦最高裁は1947年にその所有権をみとめた。1959年、ハワイが州に昇格した時、パルミラ環礁はハワイ州の領域に含まれなかった。
観光としてのリゾート地や複合住宅地、ミサイルや衛星の発射場などの建設、さらにアメリカ政府が核貯蔵所としての目的などで環礁を買い取りたいと言う申し入れがあったが最終的に、3年間に及ぶ交渉の末、2000年11月にアメリカの自然保護団体「ネイチャー・コンサーバンシー」がパルミラ環礁の所有権を3000万ドルで手に入れ、現在、パルミラ環礁はこの自然保護団体が所有している。パルミラ環礁の一帯の保護に努めており、ラグーンと領海はアメリカ政府魚類野生生物庁に移管され、2001年1月、パルミラ環礁は野生生物保護区に指定された。