パティ・シュナイダー
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パティ・シュナイダー |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Patty Schnyder |
国籍 | スイス |
出身地 | 同・バーゼル |
生年月日 | 1978年12月14日 |
身長 | 168cm |
体重 | 57kg |
利き手 | 左 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1994年 |
ツアー通算 | 14勝 |
シングルス | 10勝 |
ダブルス | 4勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト4(2004) |
全仏 | ベスト8(1998) |
全英 | 4回戦(2007) |
全米 | ベスト8(1998) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 7位 |
ダブルス | 15位 |
Template |
パティ・シュナイダー(Patty Schnyder, 1978年12月14日 - )は、スイス・バーゼル出身の女子プロテニス選手。長年にわたり、スイスのテニス界を代表する選手として活躍してきた。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス15位。これまでにWTAツアーでシングルス10勝、ダブルス4勝を挙げている。「シュニーダー」と表記されることも多い。
1994年8月にプロ入り。1996年から女子国別対抗戦・フェドカップのスイス代表選手となる。1998年にシュナイダーは好調なシーズンを送り、全仏オープンで初の準々決勝進出を果たす。ウィンブルドンの終了直後、シュナイダーは7月の試合で2週連続優勝を遂げ、一気に年間5勝を記録する。その後全米オープンの4回戦で、シュナイダーは初顔合わせだった第8シードのシュテフィ・グラフを 6-3, 6-4 で破った。次の準々決勝でヤナ・ノボトナに 2-6, 3-6 で敗れたが、シュナイダーは全仏と全米のベスト8進出で世界的な知名度を一気に上げた。(グラフは当時、左膝の手術後の回復過程が思わしくなかったため、このような敗戦の度に引退絡みの質問を受けていた。)この年のフェドカップで、シュナイダーとマルチナ・ヒンギスのコンビは決勝まで勝ち進み、9月19日・20日の決勝戦は地元のジュネーヴでスペイン・チームと戦うことになった。しかしシュナイダーがスペインのアランチャ・サンチェスとコンチタ・マルチネスの両選手に敗れてしまい、最後のダブルス戦でヒンギスとコンビを組んだ試合も落として、スイス・チームは準優勝に終わった。この時ヒンギスの母親が「今年(フェドカップ優勝)できなければ、これからも(できない)」と発言し、ヒンギスはこれ以後のフェドカップ不参加を表明してしまう。
その後シュナイダーは1999年、2001年、2002年に女子ツアーで1勝ずつを挙げたが、1998年のような好成績を出せなくなり、不本意な低迷期が長期間続いた。2003年12月5日、コーチのライナー・ホフマン(Rainer Hoffmann)と結婚。2004年1月の全豪オープンで、ついに4大大会の準決勝に駒を進める。そこではキム・クライシュテルスに 2-6, 6-7 で敗れた。2005年には年間2勝を挙げ、7月第3週にアメリカ・シンシナティの大会の決勝戦で日本の森上亜希子を 6-4, 6-0 で破った優勝もある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- パティ・シュナイダー - WTAツアーのプロフィール(英語)