バードギース州
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バードギース州(パシュトー語表記で بادغیس)は、アフガニスタン北西部の州である。トルクメニスタンのカラクム砂漠へ向かって流れるムルガブ川 (Murghab River) とハリー川 (ハリー・ルード) に挟まれ、北はサラフスの砂漠の縁まで広がる地域である。1964年にヘラート州とファーリヤーブ州から分割され、面積20,591km²の独立した州となった。 州の名称はペルシャ語のبادخیز =Bâdkhiz「風が生じる所」または「風の家」という意味。
住民は、アイマク人、ウズベク人、トルクメン人、タジク人、パシュトゥーン人が入り混じって暮らす。この州は、アフガニスタンの中でも最も開発が遅れている州となっている。人口429,500人 (2006年の公式推計[1])、州都はカラエナウ(Qala-e-Now)である。
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[編集] 経済と文化
ムルガブ川とハリー川に恵まれ、農耕が本州の主要な産業となっている。1990年代の終わりから2000年代の始めにかけて、本州では深刻な旱魃が続き、数万人の住民が難民となってヘラート郊外のキャンプに収容された。現在では状況は好転している[2]。バードギース州はアフガニスタンの絨毯生産の中心地の1つでもある。
[編集] 現代史
バードギース州はターリバーンに攻略されたのが最も遅かった地域の1つであった。ターリバーンに公式に支配されてからも、ウズベク系やトルクメン系の住人はパシュトゥーンのターリバーンを決して受け入れなかった。アフガニスタン侵攻後に米国が住民の敵意を煽り、バードギースは瞬く間に北部同盟に奪還されたが、ターリバーンの撤退後に、地域のマイノリティであるパシュトゥーン人が虐殺される惨事が発生した。
アフガニスタン内戦の間、アブドゥル・マリク、ラシッド・ドスタム、ジュマ・ハーン、イスマーイール・ハーンら多くの軍閥指導者が同州の支配権をやり取りした。北部同盟とターリバーンの交戦中には、スンナ派のターリバーンの台頭を懸念した、シーア派のイランが北部同盟に軍事援助を行なったが、マリクがドスタムを裏切ったことによって、遂にターリバーンはバードギースの攻略に成功した。
現在、他の北部地域と同様に、武装勢力が州内に強い影響力を未だ行使しており、法を私し、土地を占拠し、ケシの栽培に関わっている。しかしながら、ターリバーンの撤退後には、武装勢力間の散発的な抗争があるものの、本州では比較的平和な状況が続いている[3]。
2007年現在の知事はアジズラー・アフザリーである。
[編集] 地方
州都カライナウのあるカライナウ県をはじめ7県を擁する。2006年現在もっとも人口が多いのはトルクメニスタンの国境に位置するムルガブ県である (86,200人)。
[編集] 参考資料
- Afghanistan Information Management Service
- この記述には、パブリックドメインの百科事典『ブリタニカ百科事典第11版』本文を含む。
[編集] 外部リンク
- Map of Badghis Province (PDF)
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