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バリュージェット航空592便墜落事故 - Wikipedia

バリュージェット航空592便墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バリュージェット航空 592便
概要
日付   1996年5月11日
原因   貨物に酸素ボンベを積んだため
場所   アメリカフロリダ州エバーグレーズ
死者   110
負傷者   0
航空機
機体   ダグラスDC-9-32
航空会社   バリュージェット航空
機体記号   N904VJ
乗客数   105
乗員数   5
生存者   0

バリュージェット航空592便墜落事故(英語:ValuJet Flight 592)とは、1996年に発生したアメリカ合衆国の格安航空会社による航空事故である。事故の背景にある、航空業界に対する行き過ぎた政府による規制緩和が糾弾された。

目次

[編集] 事故の概要

1996年5月11日バリュージェット航空592便はフロリダ州マイアミ国際空港からジョージア州アトランタハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港に向けて東部夏時間午後2時4分に離陸した。592便はDC-9-32型双発ジェット機(機体記号N904VJ)で運航しており、乗客105名と乗員5名が搭乗していた。

離陸してから3分後に、592便の機長から空港にキャビンに煙が立ち込めたので戻りたいとの無線があり、マイアミへ戻るための航空管制官からの指示が与えられた。しかし、その直前のボイスレコーダーには客室乗務員の「煙が、煙が立ち昇っています」と知らせる声が入っていた。通常、客室乗務員と操縦乗員とのやり取りは操縦室のドアを開けないためにインターフォンで行われるが、事故機となった機体のそれは故障していながら修理を持ち越して運航していた。そのためコックピットにも煙が充満してしまった。この経験が少ない客室乗務員の行為は有毒ガスが客室に充満している可能性がある場合には決して操縦室の扉を開けてはならないというマニュアルに違反していた。

592便はマイアミへ戻るコースを取ったが、火災がますます強くなり機内を焼き尽くそうとしていた。そのうえ運航乗務員のいずれかが意識を喪失し操縦桿の上に倒れたために、午後2時14分に高度10000フィートから地上まで一気に墜落した。乗員乗客110名全員が犠牲になった。

[編集] 事故原因

事故機のDC-9は墜落の衝撃で粉々になっているうえに、墜落現場がエバーグレーズ(沼地湿地地帯)であり、残骸が深い泥中に沈んでいた。そのうえ、一帯はワニの生息地で有毒なジェット燃料が漂う中での犠牲者と残骸の収容活動は困難を極めアメリカ海軍の支援も得た。

NTSBによる調査によれば、592便の火災発生源は貨物室であることが判明した。この火災を発生させたのは、バリュージェットのほかの旅客機から下ろされた酸素ボンベ(酸素発生装置)144本が機内で作動し化学反応で高温を発生させたためであった。この装置は航空貨物としては危険物であり、空輸するにはFAAから輸送免許を受領する必要があったが、バリュージェットは無免許であり違法な行為であった。

そのうえ、酸素発生装置を輸送するためには、誤作動を防ぐために、作動用の引き金にプラスチックカバー(その価格は1個1セントにも満たないものであった)をつけなければならないが、これをつけていないものが多かった。そのうえ、書類上は空のボンベとなっていたが、実際には充填されたものがのこっていた。また離陸後11分で墜落するのは早すぎるため、離陸滑走中には貨物室で発火していたとみられており、しかも当時、火災発生警報の設置が義務化されていなかったため操縦乗員が事態を把握することが出来なかった。結局、592便の貨物室の火災が致命傷となった。

[編集] 事故機の履歴

1969年4月に初飛行、翌月にN1281Lとしてデルタ航空に納入。1992年末まで使用され、1年後の1993年12月にバリュージェット航空に売却された。事故の時点で製造から27年が経過しており、総飛行時間68,395時間、離着陸回数80,663回という老朽機であった。

[編集] 事故後の経過

事故発生直後は『機体の老朽化が事故原因』と誤った報道が行われた。

この事故でバリュージェット航空の安全保安体制の不備が大きく糾弾された。この事故以前にも1994年に15回だった同社の異常着陸が、1995年には52回となり、1996年の墜落事故までの5ヶ月間で59回と通常ありえない数になっていた。そのため、FAAから1996年6月16日に運行停止処分を受けた。9月30日に再開するのを認められたが、失われた顧客の信頼を取り戻すことが難しいために、1997年にバリュージェット航空は、同じく新規航空会社であり、バリュージェットの事故の風評被害(「新規格安航空会社は危ない」といったもの)が原因で経営が悪化しつつあったエアトランを買収し合併した。法的にはバリュージェットが存続会社であったが、実態はいわゆる逆さ合併であり、バリュージェット航空の社歴は抹消された。つまり、悪評が知れ渡ってしまったバリュージェットは、「バリュージェット」の名を捨て、名前だけを「エアトラン」としてイメージを一新したのである。

なお、事故機に酸素発生装置を搬入した運送会社であるが、アメリカで初めて航空事故の責任を法廷で追及された企業となり、罰金を命令された上に2001年に経営破綻した。

また犠牲者の慰霊碑は事故の3年後の1999年に建立された。慰霊碑は、110のコンクリートの柱から成っており、事故現場から北に8マイルの道路沿いにある。

[編集] 外部リンク


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