ノーマン・ミネタ
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ノーマン・ヨシオ・ミネタ(Norman Yoshio Mineta、日本姓:峰田、1931年11月2日 - )はアメリカ合衆国の政治家、民主党員。元商務長官、前運輸長官。日系アメリカ人として初めての閣僚。
カリフォルニア州サンノゼで生まれ、第二次世界大戦中はワイオミング州の日系人収容所に収容された。ここで慰問に来たボーイスカウト団員のアラン・シンプソン(後、ワイオミング州選出上院議員)と知り合い、生涯の盟友となる。
1953年、カリフォルニア大学バークレー校商学部を卒業、この年米陸軍に入り、日本や韓国で情報将校を務める。その後、父親の経営するミネタ保険会社に勤め、1967年サンノゼ市会議員に当選した。
1971年にはハワイを除く米本土では日系人として初めて大都市サンノゼ市長に当選、1974年にはやはり米本土では初めて米国下院議員に当選した。1995年まで20年以上にわたって下院議員を務め、その間大部分は運輸委員会に所属した。
その後、ロッキード・マーティン社副社長を経て、2000年から2001年までビル・クリントン政権で商務長官。2001年から2006年まで共和党のジョージ・W・ブッシュ政権でも運輸長官を務めた。2001年9月11日に発生した米国同時多発テロ事件では米国史上初めて全民間航空機の緊急着陸を命令した。
2001年11月、ミネタの地元のサンノゼ国際空港はミネタの長年の功績を顕彰して同空港の正式名を「ノーマン・Y・ミネタ・サンノゼ国際空港」と改称した。
現在はヒル&ノールトン社の副会長を務めている.
[編集] 外部リンク
- Biographical Directory of the United States Congress - アメリカ合衆国議会の人名辞典サイト[1]内の、ミネタの項目(英語)
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