ヌーリ・マリキ
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ヌーリー・カーミル・ムハンマド・アル=マーリキー (Nūrī Kāmil al-Mālikī; نوري كامل المالكي) はイラクの政治家、首相(2006年~)。イスラム教シーア派であり、ダアワ党の幹部。1950年生まれ。日本の報道では大半が「マリキ首相」と表記・発音している。
イラク南部の町ヒンディーヤ(Hindiyah)の出身。バグダッド大学卒(アラビア文学専攻)、サラハディン大学で修士号取得。サダム・フセイン政権下のシーア派弾圧により死刑判決を受け、1980年にシリアへ亡命(亡命後ジャワード・マーリキーを名乗る)。
2003年にサダム・フセイン政権崩壊後のイラクへ帰国し、バアス党員の公職追放とともに新憲法の草案作りに携わった。2005年イラク移行政府にジャファリ首相の側近として加わる。イラク正式政府の発足にあたり、当初はダアワ党指導者でもあるジャファリ移行政府首相が正式政府首相の最有力候補と見られたが、シーア派の利益を優先するジャファリの首相再任はスンニ派とクルド人勢力の反発を受け、アメリカもサドル派とイランに近いジャファリへの警戒を強めるなど、正式政府の首相選出は難航した。
このためジャファリは首相候補を辞退し、ダアワ党の副代表格であるマリキが代わって2006年4月首相指名を受け、2006年5月に発足したイラク正式政府の首相に就任。なお、内閣発足時に内相・国防相など治安関係ポストは、宗派間およびシーア派内の対立で選出が遅れたため、6月にジャワド・ボラニが内相に正式就任するまで、マリキが暫定的に内相を兼任した。2007年2月に新たな治安対策として、米軍と連携した対武装勢力掃討作戦を開始。
2007年4月8日に来日し、9日に今上天皇と会見。マリキが「和解に向けたいい動きがあります」と語ると、天皇は「国づくりが進み、イラク国民が平和に、幸せに暮らせることを願います」とこたえた。