ニコラ・バウダン
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ニコラ・トマ・バウダン(Nicolas Thomas Baudin、1754年2月17日-1803年9月16日)はフランス人探検家。
ラ・ロシェル近くの島、レ島の平民出身。20歳でフランス東インド会社の商船隊に加わる。その後フランス海軍に入り、アメリカ独立戦争ではカリブ海で従軍した。戦後オーストリアの植物学者をインド洋と太平洋に送る船の指揮をとり、その機会に船で植物と動物を生きたまま運ぶ方法を身につけた。
1792年、フランスがオーストリアと開戦すると海軍に復帰しようとしたが果たせなかった。1795年、フランス国立自然史博物館の館長アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューを訪ね、カリブにおける植物採集の航海について提案した。その旅行で彼は多くの珍しい植物、鳥、昆虫のコレクションをフランスへ持ち帰って評判となった。
1800年10月、政府に新たな学術航海の提案を行っていた彼は、オーストラリア沿岸の地図を作成する探検の指揮者に選ばた。9人の動物学者と植物学者レシュノーを含む自然科学者を乗せ、 Le Géographe と Le Naturaliste (Captain Hamelin)の2隻で出航。1801年5月にオーストラリアにつき、1802年4月にエンカウンター湾の沿岸の作図をしていたイギリスの航海者マシュー・フリンダースにあった。その後イギリス植民地シドニーで補給し、その木の材料の名前をとってCasuarinaと名付けた新しい船を購入した。彼は標本でいっぱいになった Le Naturaliste号 を本国に送り返し、タスマニア、ティモールへと旅立った。
[編集] 参考文献
- Nicolas Baudin’s Scientific Expedition To The Terres Australes by Steve Reynolds - Marine Life Society of South Australia Inc.