ニコライ・ブルガーニン
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ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ブルガーニン(Николай Александрович Булганин, Nikolai Aleksandrovich Bulganin, 1895年6月11日 - 1975年2月24日)はソビエト連邦の政治家。フルシチョフ時代前期の1955年から1958年にかけてソ連閣僚会議議長(首相)を務めた。
[編集] 経歴
1895年6月11日、ロシア帝国のニジニ・ノヴゴロドの中産階級の家庭に生まれる。実家中学校に学ぶが、1917年ロシア革命を経て、ロシア共産党(ボリシェビキ)に入党した。
1918年、チェーカー(KGBの前身)に入り、反革命の取り締まりに辣腕を振るう。内戦では、赤軍に対する統制を行う全ロシア・チェーカー特別部に所属した。内戦終結後、ソ連国民経済会議電気トラスト理事(1922年~1927年)、モスクワ電気工場長(1927年~1931年)。
1931年からモスクワ市ソビエト議長。モスクワにおける反右派闘争やモスクワ市改造計画を積極的に推進したことが機縁となってスターリンに認められる。1937年、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員会議議長(首相)、1938年ソ連人民委員会議副議長(副首相)兼国立銀行総裁を歴任する。1939年にはソ連共産党中央委員に選出された。
第二次世界大戦中は、進んで前線指導に赴き、西部方面軍、第2沿バルト方面軍、第1白ロシア方面軍で政治委員の最高責任者として活躍した。1944年12月、国防人民委員代理(国防次官)に転出し、スターリンを議長とする国家防衛委員会の委員となった。
第二次世界大戦終了後、1946年3月に政治局員候補に抜擢される。1947年、ソ連副首相兼軍事相に就任し、元帥号を授与された。1948年、政治局員となる。
1953年のスターリンの死後、党筆頭書記と首相に就任したゲオルギー・マレンコフの新政権ではヴャチェスラフ・モロトフ、ラヴレンチー・ベリヤ、ラーザリ・カガノーヴィチとともに第一副首相に就任し国防相を兼務した。1955年、ニキータ・フルシチョフが実権を掌握し党第一書記となると、マレンコフ後のソ連閣僚会議議長(首相)に就任し、フルシチョフと「B・Kコンビ」を組んだ。ブルガーニンとフルシチョフは1955年5月、ユーゴスラビアを訪問し、チトー大統領に和解を申し入れ、スターリン時代に冷却化した両国関係を打開しようとした。次いでインド、ビルマ(現在のミャンマー)、アフガニスタンを相次いで訪問し、平和共存外交を展開した。内政面では1956年党大会で非スターリン化を推進した。
しかし、フルシチョフが推進する農業改革、工業管理の地方分権化や外交面での平和共存路線に対して、官僚やスターリン主義者の反撃が行われた。1957年6月、モロトフらいわゆる「反党グループ」がフルシチョフを第一書記から解任しようとした。フルシチョフは党中央委員会を召集し、逆にグループを倒すことに辛くも成功した。この頃すでにフルシチョフと確執を持つようになっていたブルガーニンは、この「反党グループ」事件において積極的に関与し、彼の解任に賛同している。これが後に祟り、1958年3月27日に首相を解任され、国立銀行の仕事に戻る。同年9月、幹部会員を解任、失脚した(元帥号も剥奪)。以後、スタヴロポリの人民経済会議議長として過ごす。1960年から年金生活入りし、1961年には中央委員を解任された。
日本との関係では、鳩山一郎首相、河野一郎農相が訪ソし、日ソ国交回復、日ソ漁業協定を締結した。
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