テュルク諸語
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テュルク諸語(テュルクしょご)は、中央アジアを中心に東ヨーロッパからシベリアに至る広大な地域で話される、言語系統を同じくする諸言語の総称である。分布の広大さに比べて言語間の差異は比較的小さく、テュルク諸語全体をひとつの言語、「テュルク語」と見なし、各言語を「テュルク語の方言」とする立場もありえる。
日本語と同じく、目的語や述語に助詞や活用語尾が付着する膠着語で、母音調和を行うことを特徴とする。文の語順も基本的に日本語と同じ主語-目的語-述語になる言語が多い。
歴史学の成果から本来このテュルク諸語を話す人々は中央アジア・モンゴル高原からシベリアのあたりにいたと考えられる。分布がテュルク諸語と隣接するモンゴル諸語、ツングース諸語とはいくつかの言語の特徴を共有するため、テュルク諸語とこれらとをあわせてアルタイ諸語という。アルタイ諸語の相互の系統関係は証明されていないが、もしアルタイ諸語を同一の祖語を共有するアルタイ語族として認める立場に立てばテュルク諸語はテュルク語群と呼ぶべきであり、逆に、将来もしアルタイ語族説が完全に否定されれば、テュルク諸語はテュルク語族と呼ばれるようになるはずである。
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[編集] 分類
テュルク諸語は、音韻などの特徴からいくつかの語群に分類される。以下に、各言語のうち主要なもののみを例示する。
- 南西語群(オグズ語群)
- 北西語群(キプチャク語群)
- 南東語群(チャガタイ語群)
- 北東語群(北語群)
- ヤクート語群
- サハ語(ヤクート語)
- ブルガール語群
各語群内では言語間の共通性が大きく、意思疎通は容易であると言われる。特に上の3語群の話し手はイスラム教を受け入れた結果、アラビア語・ペルシア語から多くの語彙を取り入れているため、語彙上の共通性が大きい。政治的経緯から、トルコ語を除く諸言語はロシア語からの借用語も非常に多い。
[編集] 文字と文献
テュルク諸語の最古の文献は突厥の碑文で、古テュルク文字(テュルク・ルーン文字)で書かれ、モンゴル高原の各所に残る。突厥を滅ぼしたウイグルも古テュルク文字を受け継いだが、モンゴル高原から中央アジアに移住した後はソグド文字を改良したウイグル文字を使用した。なお、古代ウイグルがウイグル文字で記したテュルク語は、後述のチャガタイ語に連なる現代ウイグル語とは系統が異なる。
イスラム教を受け入れたカラハン朝では、アラビア文字でテュルク語を書き取るようになり、『クタドゥグ・ビリグ』のような文学作品が著された。その後、イスラム教の浸透とともにアラビア文字による表記は広く用いられるようになり、中央アジアではチャガタイ語、アナトリアではオスマン語がそれぞれアラビア語・ペルシア語の要素を取り入れた典雅な文章語として発展した。
20世紀に入ると文章語の簡略化が進められ、各地の口語を基礎とし、ラテン文字やキリル文字で書き表される新しい文章語が生まれた。しかし、依然としてイランなどではアラビア文字が使用されており、中国では一度ラテン文字化が進められたテュルク系諸言語が1980年代にアラビア文字表記に戻されたので、現代テュルク諸語を表記する文字は大きく分けて3つ存在する、ということになる。