スティーブ・ナッシュ
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スティーブ・ナッシュ(Steve Nash, 1974年2月7日 - )は、カナダのバスケットボール選手。アメリカ合衆国のプロバスケットボールリーグNBAのフェニックス・サンズに所属。ポジションはポイントガード。正確なシュート力とコートを駆け巡れるスピード、広いコートビジョンなどポイントガードに必要な能力を兼ね備えている。
1996年のNBAドラフト、1巡目15位でフェニックス・サンズに指名されプロ入り。オールスターに4度出場。2005年、2006年と2年連続でシーズンMVPを受賞し、現役選手のポイントガードの中では最も優れた選手の1人と評価されている。191cm、81kg。背番号13。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼少期-大学
ナッシュはプロサッカー選手としての父親の仕事の都合で南アフリカで生まれた。間もなく家族はカナダに移り、カナダで育つ。なお、ナッシュの父ジョン・ナッシュはプロサッカー選手、弟のマーティン・ナッシュはサッカーカナダ代表、というスポーツ一家である。ナッシュは高校でもバスケットボールと共にサッカーを続けていた。サンタクララ大学に進学し、NCAAトーナメントに出場するなどの活躍を見せた。
[編集] NBA
1996年のNBAドラフト、1巡目15位でフェニックス・サンズに指名され入団。これはカナダ人選手の最高順位である。 この当時、フェニックス・サンズにはジェイソン・キッド、ケビン・ジョンソンがおり、1996-97、1997-98シーズンは控えポイントガードだった。
翌1998-99シーズンはトレードによりダラス・マーベリックスに移籍し、怪我で欠場した10試合を除く40試合全てでスターターとして出場し、1試合平均31.7分の出場時間を得る。2000-01シーズンになると初の10得点超えとなる1試合平均15.6得点、7.3アシストの成績を残す。2001-02にはオールNBAサードチームに選ばれ、初めてオールスターに出場した。翌2002-2003年シーズンもオールNBAサードチームに選ばれ、オールスターに出場した。そしてマーベリックスのチーム史上2度目となるカンファレンスファイナルに進出したが、サンアントニオ・スパーズの前に敗れた。
2004-05シーズンになるとフリーエージェントで古巣のフェニックス・サンズに戻り、そのシーズンは1試合平均11.5アシストを記録してアシスト王のタイトルを獲得し、チームも前年29勝53敗だった成績を62勝20敗としてリーグ最高勝率を残した。シーズンMVPの投票でナッシュは1066票を獲得し、1028票を獲得した次点のシャキール・オニールを退けてMVPを獲得した。これはカナダ人としては史上初、外国生まれの選手としてはアキーム・オラジュワンについで2人目であり、MVPを受賞した歴代のNBA選手の中で最もドラフト指名順位が低い選手である。またオールNBAファーストチームにも選出された。プレーオフでは前年まで所属したダラス・マーベリックスと第2ラウンドで戦い、1試合の得点で自己最高記録となる48得点、1試合平均30.3得点、6.5リバウンド、12アシストという活躍をして、カンファレンスファイナルに駒を進めるも、サンアントニオ・スパーズの前に再び敗れた。
2005-06シーズンのサンズはジョー・ジョンソンを始めとする主力選手の流出で前年より大きく戦力を落とし、前評判は芳しくなく、さらにシーズン序盤でエースセンターのアマーレ・スタウダマイアーが故障しシーズンの大半を棒に振るという不運に見舞われた。しかしナッシュは1試合平均18.8得点、10.5アシスト、スリーポイント成功率43.9%(全体6位)、フィールドゴール成功率51.2%(全体16位)、フリースロー成功率92.1%(全体1位)の自己最高ともいえる好成績を残し、チームはディビジョン優勝を遂げた。また、2年連続のアシスト王を獲得。優れた選手の条件であるチームメイトの潜在能力を大きく伸ばした活躍が認められ、ポイントガードとしてはマジック・ジョンソン以来となる史上2人目の2年連続でのシーズンMVPを獲得した。これまでゲーム内容によってはフルタイムで出場せざるを得ない環境が続いていたが、バックアップ選手としてリアンドロ・バルボサが台頭。ナッシュは疲労を大幅に抑えることに成功し、これが好成績を残すことができた要因の一つとも考えられる。この年のオフには長らくトレードマークだった長髪をバッサリ切り、ファンの話題を呼んだ。ナッシュ曰く、「気分転換のためで、特に深い意味はない」らしい。
2年連続のMVP獲得とカンファレンスファイナル出場を果たし、残すはチャンピオンリング獲得のみとなった。チームはより充実化し、スタウダマイアーも復帰したことで、2006-07シーズンはファイナル制覇最大のチャンスと言われた。サンズは期待通りの快進撃を続け、ナッシュはさらに個人成績を向上させ、18.6得点11.6アシストのアベレージを残し、3ポイントシュート成功率ではリーグ2位にランクされた。MVPは元チームメイトであり友人でもあるマーベリックスのダーク・ノビツキーに譲ったものの、リーグ1位の勝率だったマーベリックスがプレイオフ1回戦で敗れたことにより、勝率2位だったサンズの優勝の可能性が一気に高まった。しかしカンファレンスセミファイナルのスパーズとのシリーズでは多くの災難がナッシュを襲った。第1戦では、スパーズのトニー・パーカーとの接触で鼻から出血、ナッシュは止血が追いつかず、試合終盤の大事な場面にコートに立つことを許されず、結果サンズは大事な初戦を落とした。第2戦ではスタウダマイアーがブルース・ボウエンの危険な行為に対し、「スパーズはダーティなチーム」と発言したことでシリーズは大荒れの兆候を見せると、第4戦ではナッシュはロバート・オーリーに体当たりに近いファウルを受ける。普段非常に温厚なナッシュもこの時ばかりはオーリーに掴みかかったが、その場面にベンチに居たスタウダマイアーとボリス・ディアウはベンチから離れたことで乱闘を助長する行為として、規定により1試合の出場停止処分を受ける羽目となる。主力選手2名を欠いたサンズは第5戦を落とし、そのまま連敗してシリーズ敗退となり、ナッシュのチャンピオンリング獲得の夢は打ち砕かれた。
[編集] プレイスタイル
卓越したパスセンスと、「背中にも目がある」と評されるほどの広いコートビジョンを備えており、ディフェンダーの僅かな隙間にも簡単にパスを通してしまう。サンズに戻った9シーズン目以降はチームメイトに優秀なフィニッシャーが多かったこともあり、3シーズン連続で1試合平均二桁アシストを記録した。
抜群のシュート力を誇り、スリーポイントシュート成功率は1998-1999シーズンを除いて全てのシーズンで4割以上を記録、サンズに戻った9シーズン目以降は、フィールドゴール成功率でもガードの選手としては異例の5割以上を記録している。
決して身体能力が高いわけではなく、スピードもあるわけではないが、ディフェンダーとの空間を作る術に長けているため、相手チームは簡単にナッシュのドライブを許してしまう。
上記の通り、ナッシュの能力が遺憾なく発揮され始めたのは、ナッシュがマイク・ダントーニ体制となったサンズに戻ってからである。「ボールを持ってから7秒以内にシュートを打つ」という非常にアップテンポで攻撃的なスタイルに、ナッシュは完全にフィットし、以降はチームの心臓として活躍している。チームメイトには優れたプレイヤーが多いが、ナッシュの存在がなければチームとして機能せず、事実ナッシュが欠場した時のサンズの勝率は極端に悪い。尚、オフェンス能力では高評価を得ているナッシュだがディフェンス能力に関しては平均以下と言われており、それは彼が中心となったチームのスタイルにも反映されている。
またナッシュ最大の長所としてチームメイトが頻繁に挙げるのが、彼のアンセルフィッシュで温厚な人柄である。
[編集] エピソード
- 登録上の身長は191cmだが、実際はもっと小さいと言われている。
- サッカー観戦が趣味で、2002年、日韓ワールドカップの観戦で日本に来日したが、ナッシュだとはは気付かれず、大きな騒ぎにはならなかった。
- サンタクララ大に進学した理由は、他にリクルートの誘いがなかったから。将来NBAに入るような選手は数多くのリクルートを受けるのが普通で、ナッシュのようにリクルートの誘いがなく、後にMVPにまでなるというのは極めて異例である。
[編集] 個人記録
[編集] 個人成績最多記録
- 1試合最多得点:48得点(vs ダラス・マーベリックス 2005年5月15日)
- 1試合最多アシスト:22個 (vs ニューヨーク・ニックス 2006年1月2日)
- 1試合最多リバウンド:13本 (vs フィラデルフィア・セブンティシクサーズ 2005年3月30日)
- 1試合最多3P成功数:7本 (vs インディアナ・ペイサーズ 2003年4月5日)
- 1試合最多フリースロー成功数:13本 (vs ポートランド・トレイルブレイザーズ 2001年12月11日)
- 1試合最多スティール:5本 (vs ボストン・セルティックス 2000年12月18日)
[編集] 受賞歴
- シーズンMVP: 2005年、2006年
- オールスター出場: 2002年、2003年、2005年、2006年
- オールNBA1stチーム: 2005年、2006年、2007年
- オールNBA2ndチーム: 2008年
- オールNBA3rdチーム: 2002年、2003年
- アシスト王: 2005年(11.5アシスト)、2006年(10.5アシスト)、2007年 (11.6アシスト)
- フリースロー成功率1位: 2006年(92.1%)
[編集] 外部リンク
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