スウェーデン・ポーランド戦争
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スウェーデン・ポーランド戦争とは、1621年から1629年まで続いた、ポーランド王国とスウェーデン王国の戦争を指す。「ヴァーサ王朝」同士の戦争である為、内戦とも言えなくはないが、実際には、国家間戦争である。最も広義には、1598年以降の係争も含み、1629年のアルトマルクの和議によって、両国の戦争は一区切りとなった。
両国には、王位継承問題が絡み、実質的には1598年以来、戦争状態にあると言っても過言ではなかった。事の発端は、1587年にポーランド王国国王に迎えられたヴァーサ家のシギスムンド(ポーランド名ジグムント3世)が1592年にスウェーデン王に即位したことから始まる。ジグムントは、カトリックに改宗した為、ルター派プロテスタント国家であるスウェーデンは、彼を国王と認めなかった。1598年に叔父のカール(カール9世)を擁立してジグムントを廃位した事からズィグムントはスウェーデンに侵攻したが撃退された。その後両国は、リヴォニアで対立し、スウェーデン王となったカール9世が1605年にリヴォニアのリガに侵攻したが、あっけなく撃退された。スウェーデンは、ポーランド、デンマーク、ロシア帝国から脅威を受けていたが、ロシア動乱(Smuta)期にスウェーデン王位を継承したグスタフ2世アドルフによって脅威を脱するのである。
ポーランド王ジグムントは、ロシア動乱に介入し、1618年にロシアと和睦した。スウェーデン王グスタフ・アドルフは、即位直後の1611年にデンマークとカルマル戦争を行い、その後ロシア、デンマークとも和睦した。
そして両者は1621年、再びリヴォニアで相まみえるのである。戦争は、リガ攻略戦となった第一次と、1625年以降のポーランド本土戦役の第二次とに分けられる。
1621年、グスタフ・アドルフは、リガ湾から上陸し、わずか数週間でこれを攻略した。その後、1624年にグスタフ・アドルフは、ドイツ三十年戦争における反ハプスブルクに参加した事で、両国は一端休戦した。しかし宿敵デンマークと反目し、スウェーデンは再びポーランド侵攻の準備に取りかかった。
1625年、再びスウェーデン軍は、リヴォニアに侵攻。北上してきたポーランド軍と西ドヴィナ川の近くのヴァルホフで撃破した。これによってほぼスウェーデンは、リガを確保するのである。第一段階は、スウェーデンが勝利したが、ポーランドは屈服せず、戦争は継続された。
1626年、グスタフ・アドルフは、グダニスク湾から上陸。東プロイセンのドイツ都市を攻略し、一帯を制圧した。そして、プロイセン奪回の為に侵攻してきたポーランド軍をグルジョンツで撃退した。翌1627年、スウェーデン軍のドイツ人傭兵がポーランド軍に降伏したが、新たにスウェーデンから徴兵された新軍が投入された。その後ヴィスワ川を南下する途中の戦闘で、グスタフ・アドルフは負傷するものの、ポーランド軍を撃破した。同年11月のバルト海南海上におけるオリヴァの海戦で、スウェーデンはポーランド海軍に敗れはしたものの、ポーランドのバルト海進出は叶わず、スウェーデン海軍の勢力は維持された。その後、プロイセンで疫病が流行し、スウェーデン軍にも影響を及ぼし、足止めを余儀なくされた。
この頃になると、両国共に厭戦気分が漂い始める。特にスウェーデンは戦争に次ぐ戦争で国民の不満が高まっていた。一方ポーランドもスウェーデンに対し守勢に立たされ、国力を衰微させていた。グスタフ・アドルフは、すでにポーランドに対し、一定の優位に立ち、王位継承問題に一区切りを見せ始めていた為、グスタフ・アドルフの政策は、すでに次の段階に入り始めていた。
1628年、スウェーデンはデンマークと同盟を結び、神聖ローマ帝国軍に包囲されたシュトラルズントを解放した。この時三十年戦争は、デンマーク・ニーダーザクセン戦争期である。スウェーデンは、2年後の1630年に再びポンメルンに侵攻し、三十年戦争の第二期、スウェーデン戦争を開始するのである。
一方、スウェーデン・ポーランド戦争も佳境に入る事となった。1629年の春期から夏期に渡る戦争で、スウェーデン軍の深部侵攻をポーランドが神聖ローマ帝国軍の援護を受けて辛うじて阻止した事で、和平の気運が高まり、この年フランス王国の調停の元、アルトマルクの和議によって両国は和解した。しかしポーランドは、実質的にはスウェーデンに屈服し、以降、衰退への道を緩やかに歩んで行った。この戦争で、グスタフ・アドルフは、ヨーロッパにおける名声を得、「北方の獅子王」として恐れられる様になった。
スウェーデンはリヴォニアを確保し、プロイセンをポーランドの宗主下に返上した。ポーランドはスウェーデン・ヴァーサ家への王位要求権を取り敢えずは放棄した。王位要求権に関しては、グスタフ・アドルフの死後に再燃するが、取り敢えず両国は、6年間の終戦期間を得た。その後ポーランドは、国力の回復と、神聖ローマ皇帝へ接近してカトリックの堅守に専念し、スウェーデンは、三十年戦争に本格的に介入する事となった。