ジーン・タニー
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基本情報 | |
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本名 | ジェームズ・ジョセフ・タニー |
通称 | ザ・フライング・マリーン |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1897年5月25日 |
出身地 | ニューヨーク、アメリカ合衆国 |
命日 | 1978年11月7日 |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 88 |
勝ち | 82 |
KO勝ち | 48 |
敗け | 1 |
引き分け | 3 |
無効試合 | 2 |
ジーン・タニー(Gene Tunney、1897年5月25日-1978年11月7日)は1926年から1928年にかけてのプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン。
目次 |
[編集] 経歴・人物
第一次世界大戦中にアメリカ海軍で活躍したタニーは、プロ人生で一度しか負けなかった。唯一の敗戦はハリー・グレッブとのアメリカ合衆国ライトヘビー級タイトルを巡っての試合で、15ラウンド戦っての判定負けだったが、タニーはその後4度グレッブを下している。タニーはディフェンスに優れたとても技巧的なボクサーであると評価されている。
ジャック・デンプシーと1926年、1927年と2年連続で戦い、いづれも退けた。デンプシーの挑戦からタイトルを防衛した一戦はボクシング史上に残る名勝負で、「ザ・ロング・カウント・ファイト」として知られる。
1928年にトム・ヒーニーを下した後、引退した。
デンプシーの他に、タニーが下した有名なボクサーには、トミー・ローラン、トミー・ギボンズ、ジョージ・カーペンターらがいる。
タニーはまた俳優の仕事も短期間行い、1926年にThe Fighting Marineなどに出演した。残念なことにこの映画のフィルムは現在は残っていない。
タニーは1928年度のリングマガジン誌のファイター・オブ・ジ・イヤーに選ばれ、1980年には世界ボクシング殿堂、1990年には国際ボクシング名誉の殿堂博物館に収められた。
ジーン・タニーの息子のジョン・タニーは1965年から1977年まで、カリフォルニア州選出のアメリカ合衆国上院議員やアメリカ合衆国下院議員を務めた。
1978年に病気のため、逝去。享年82(満81歳没)。彼の死後、その亡骸はコネティカット州スタンフォードのロングリッジ・ユニオン墓地に葬られた。
[編集] ファイトスタイル
タニーはこの頃のトップ選手の中では珍しく、ボクシングの試合をチェスのように考えて組み立てていた。このようなスタイルはジェームズ・コルベットやベニー・レオナルドの影響を受けている。左手でジャブを出しながら常に動き回り、敵の動きを読んでいた。こうして敵の攻撃をかわしつつカウンターを狙う作戦だった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前王者 |
第2代WBA世界ヘビー級王者 |
次王者 |