ジュゼッペ・ジャンニーニ
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ジュセッペ・ジャンニーニ | ||
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名前 | ||
愛称 | プリンチペ | |
カタカナ | ジュセッペ・ジャンニーニ | |
ラテン文字 | Giuseppe Giannini | |
基本情報 | ||
国籍 | イタリア | |
生年月日 | 1964年8月20日 | |
出身地 | ローマ | |
身長 | 177cm | |
体重 | 68kg | |
選手情報 | ||
ポジション | MF | |
利き足 | 右足
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代表歴 | ||
出場 | 47 | |
得点 | 6 | |
ジュセッペ・ジャンニーニ(Giuseppe Giannini、1964年8月20日 - )は、イタリア・ローマ出身(アフリカーナ地区生まれ)の元同国代表サッカー選手(MF)。現役時代は長髪に甘いマスクと優雅なプレーで「プリンチペ」の愛称で呼ばれ人気を博した。 ポジションは攻撃的MF。中盤深めからのショートパス、ミドルパスを駆使し優雅なゲームメイクを得意としたが、機を見て前線に飛び出しシュートを狙う事も出来た。
目次 |
[編集] 略歴
クラブでは現役時代のほとんどをASローマで過ごし、15歳でローマの下部組織に入団すると1982年1月31日のACチェゼーナ戦でセリエAデビューを果たし、コッパイタリアを3度制覇するなど15年間に渡ってクラブの中心選手としてプレーした。
イタリア代表としてはイタリアU-21代表時代の恩師、アゼリオ・ビチーニが監督に就任すると同時にイタリア代表に選出。1986年12月の欧州選手権予選 マルタ戦でデビューを飾ると主力選手としてジャンルカ・ビアリやフランコ・バレージらと共に1988年の 欧州選手権のベスト4、1990年のイタリアW杯の3位入賞に貢献した。
その後、選手生活の終盤にはローマを離れオーストリアの シュトルム・グラーツでプレー、再びイタリアへ戻りナポリを経て1998-99シーズンにレッチェに在籍したのを最後に引退した。2000年5月17日にローマで行われた引退試合には往年のASローマのメンバーやスター選手が顔を揃え彼を祝福した。
いまやイタリア代表のエースフランチェスコ・トッティの憧れの選手であり、「プリンチペ」の愛称はトッティに継承されている。
[編集] 所属クラブ
- 1981年-1996年 ASローマ(イタリア) 318試合49得点
- 1996年-1997年 シュトルム・グラーツ(オーストリア) 16試合2得点
- 1997年-1998年 SSCナポリ(イタリア) 4試合0得点
- 1998年-1999年 USレッチェ(イタリア・セリエB) 47試合4得点
[編集] 代表歴
- 1986年-1991年 イタリア代表 47試合6得点
- 1984年-1985年 イタリアU-21代表 21試合1得点
[編集] タイトル
[編集] クラブ
- コッパ・イタリア 3回(1983-84,1985-86,1990-91)
- オーストリア・カップ 1回(1997)
- オーストリア・スーパーカップ 1回(1996)
イタリア代表 - 1990 FIFAワールドカップ | |
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1 ゼンガ | 2 バレージ | 3 ベルゴミ | 4 デ・アゴスティーニ | 5 フェラーラ | 6 フェッリ | 7 マルディーニ | 8 ヴィエルコウッド | 9 アンチェロッティ | 10 ベルティ | 11 デ・ナポリ | 12 タッコーニ | 13 ジャンニーニ | 14 マロッキ | 15 バッジョ | 16 カルネヴァーレ | 17 ドナドーニ | 18 マンチーニ | 19 スキラッチ | 20 セレーナ | 21 ヴィアリ | 22 パリュウカ | 監督 ビチーニ |