ザカフカース民主主義連邦共和国
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ザカフカース民主主義連邦共和国(露:Закавказский сейм)とは、1918年4月から5月にかけてカフカース地域(アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)に存在した連邦国家。ロシア革命にともない、アゼルバイジャンの平等党(ムサワート)、アルメニアのダシナクツチュン(民族主義者)、グルジアのメンシェヴィキを中心としてロシアからの分離、独立を果たしたが、2ヶ月も経たないうちに3カ国に分裂した。
[編集] 歴史
1918年4月9日、ザカフカース議会(セイム)によりロシアからの分離、ザカフカース民主主義連邦共和国の建国が宣言された。共和国の最高機関は、ザカフカース議会であり、ニコライ・チヘイゼ(グルジア人)が議長を務め、アルメニア人とアゼルバイジャン人が副議長を務めた。共和国政府は、ブレスト和平条約を認めなかったが、軍事力を有さなかったため、5月11日~26日、バトゥーミにおいてドイツ・トルコ軍司令部と交渉に入った。交渉中、3民族の意見の相違(アルメニアとグルジアは親独、アゼルバイジャンは親土など)が明らかになったため、3民族の国民会議は独立国家の建国に賛成した。また、ドイツ・トルコ側も連邦共和国の廃止に賛成した。1918年5月26日、ザカフカース議会は連邦共和国の廃止を建議した。5月26日にグルジア民主主義共和国が、27日にアゼルバイジャン民主共和国が、28日にアルメニア共和国が建国された。
[編集] ザカフカース議会
ザカフカーズ議会は、1918年2月10日、ザカフカースのロシアからの離脱の法的手続を目的にザカフカース委員部により設置された機関である。3月26日の委員部解散後、同地域の主要権力機関となった。議会は、ザカフカースから制憲議会に選出された代議員、アゼルバイジャンの平等党、アルメニアのダシナクツチュン、グルジアのメンシェヴィキ等、政党の代表から構成された。共和国大統領たる議会議長には、ニコライ・チヘイゼが選出された。3月、ザカフカーズのロシアからの離脱を可決し、4月9日、ザカフカース民主主義連邦共和国を宣言した。連邦共和国の分裂後、5月26日、議会の解散が宣言された。