ゴッタルド峠
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ゴッタルド峠(-とうげ)(独Sankt Gotthard ザンクト・ゴッタルド、伊San Gottardo サン・ゴッタルド)(標高2108メートル)はスイスのティチーノ州アイロロとウーリ州ゲシェネンの間にある峠である。スイスのドイツ語地域とイタリア語地域を結び、ミラノへ通じる道ともなっている。
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[編集] 歴史
古代から峠の存在は知られてきたが、13世紀前半まで一般的に交通路として用いられることはなかった。初夏には雪解けの水で溢れるシェレネン渓谷の急流を渡河し、アンデルマットまで狭くきつい坂道で通り抜けなければならないからである。少なくとも1236年には、バイエルン公国の聖人ヒルデスハイムのゴッタルドから名づけられいる。
[編集] 架橋
近隣の村の伝承によれば、ほとんどの年で峠を通行しようとして溺死した者は4月から5月に掛けてピークとなっていたようである。そのような困難な環境での架橋のために悪魔の橋と呼ばれるようになった橋がこの地に存在している。同じような環境で架けられて同じく悪魔の橋と呼ばれるようになったいくつかの橋と並んで、アンティ・アールネによる民話集1191番に架橋の伝説が収録されている[1]。
- ルイス川を渡るのがあまりに困難だったため、あるスイスの牧夫が悪魔に橋を架けるように願った。すると悪魔が現れて、願いを引き受ける代わりに橋を最初に渡るものを生け贄に差し出すようにと条件をつけた。彼はそれを受け容れたが、橋が完成すると彼はヤギを先に渡らせて生け贄を回避した。この詐欺行為に怒った悪魔は岩をつかんで橋に投げつけようとしたが、ある老婆が十字架を岩に描いて悪魔が岩をつかむことができないようにした[2]。
この伝説の岩は今も存在しており、1977年にゴッタルド道路トンネルの建設のためにこの220トンの岩は30万スイスフランを投じて127メートル移動させられている。
この架橋によりルイス川に沿って、北海へ注ぐライン川と、ティチーノ州からミラノの方へ流れて地中海に注ぐポー川の分水嶺を越えることができるようになった。ただし1775年に馬車の通れる改良された道路が建設されるまで、徒歩と駄獣のみが通行できる道であった。1799年にはフランス革命戦争に参加していたロシアのアレクサンドル・スヴォーロフ元帥がこの峠を通過している。
[編集] トンネル
1888年には177人の犠牲者を出した全長15kmのゴッタルド鉄道トンネルが開通し、峠道を置き換えている。全長17kmのゴッタルド道路トンネルは1980年により少ない53人の犠牲で開通している。峠を通過する第2鉄道トンネルであるゴッタルドベーストンネルは現在建設中である。スイス政府は建設関連の死者を10人以下に抑えることを目標としている(現在までのところ7人)。全長57kmで、完成すれば世界最長の鉄道トンネルとなる。アルプトランジット計画の一環として建設されているチューリッヒやルガーノに近い2つの短いトンネルと合わせることで、旧トンネルのような曲がりくねった取り付け線がなくほぼ水平に通り抜けられるようになるため、現在3時間40分掛かっているチューリッヒからミラノまでの所要時間を1時間短縮し、1列車あたりのトン数や列車運行本数も増強される計画となっている。
[編集] ギャラリー
ゴッタルド峠を通過するアレクサンドル・スヴォーロフ陸軍元帥、Alexander Kotzebue |