グリゴリー・シェリホフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グリゴリー・イワノヴィチ・シェリホフ(シェレホフあるいはシェリコフ、Григорий Иванович Шелихов (Шелехов), Grigory Ivanovich Shelikhov (Shelekhov), 1747年 - 1795年7月20日(グレゴリオ暦7月31日))はロシア帝国の商人・探検家。
現在のクルスク州にある町・リルスク(Rylsk)で生まれた。1775年よりラッコなどの毛皮を求め、商船で千島列島およびアリューシャン列島への探検を開始した。ハドソン湾会社などのイギリス商人がアラスカに進出する恐れを感じたシェリホフは、1783年から1786年にかけてロシア領アメリカ(現在のアラスカ州)の沿岸を探検した。1784年にはThree Saints号とSt. Simon号で、妻ナターリヤおよび仲間のゴリコフらとともにコディアック島に上陸、先住民と衝突の後多数を殺して服従させ、スリー・セインツ湾に最初のロシア入植地を建設した。彼はアラスカ交易独占を求めたがエカチェリーナ2世は許可しなかった。
イルクーツクに戻ったシェリホフは、キリル・ラクスマンや大黒屋光太夫らに会っている。1790年からはシェリホフはシェリホフ=ゴリコフ会社などアラスカや北太平洋で活動する複数の毛皮会社を設立し、アレクサンドル・アンドレーエヴィチ・バラノフを現地へ送り込んだ。また首都の官房長だったニコライ・レザノフを事業のパートナーに迎えた。
シェリホフは1795年に死ぬが、彼の事業は娘婿となったレザノフが引き継ぎ、1799年には国策露米会社となった。シェリホフの名は、オホーツク海最奥部のシェリホフ湾やアラスカ本土とコディアック島の間のシェリホフ海峡、イルクーツク州のシェリホフ町などに残っている。