クラウス=マッファイ
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クラウス=マッファイ(Krauss-Maffei)は、ドイツの重機械メーカである。
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[編集] 概要
ミュンヘンにあったクラウス社と、同じくミュンヘンにジョゼフ・アントン・フォン・マッファイが設立したJ.A.マッファイ社が合併して、1931年に設立された。2005年現在、従業員2,043人、売上が5億5300万ユーロである。
設立当初は、装甲車や戦車を製造していたが、第二次世界大戦後は一定期間兵器製造を禁止されていた。現在では、プラスチック製品の製造に欠かすことのできない射出成形装置の製造で知られている。日本の日本製鋼所はクラウス・マッファイからプラスチックの押出成形の技術提供を受けた。1963年から軍事兵器生産が解除され、レオパルト1(1963年から)、レオパルト2(1973年から)などの戦車や、ゲパルトなどの自走砲の生産も行なっている。
一方で、マッファイ社もクラウス社も蒸気機関車時代からの鉄道車両製造メーカとして世界的に知られ、マッファイ社は、第二次大戦前のオリエント急行を牽引したことで有名なS3/6形の設計・生産を行っていた。日本では1913年に4100形蒸気機関車を輸入しているほか、主に地方私鉄や軽便鉄道でクラウスの蒸気機関車が数多く輸入された。近年では高速鉄道のICEの車両生産も行っている。1960年代からは、当時の西ドイツの研究委託を受けて磁気浮上式鉄道の開発を始め、現在でもトランスラピッドの開発の中心的な位置にある。また、日本で開発が進められたHSSTの基礎的配置のライセンス元としても知られている。
1986年に、プラスチック装置関連部門と車両・兵器部門が分社。さらに兵器部門は1999年にヴェクマン社と合併して、クラウス=マッファイ・ヴェクマン (Krauss-Maffei Wegmann) が設立された。
鉄道車両部門は1999年にジーメンス・クラウス=マッファイ(Siemens Krauss-Maffei Lokomotiven GmbH)となり、2001年にはジーメンスに吸収された。
[編集] 社史
- 1838年 - J.A.マッファイ社がミュンヘンに設立。
- 1866年 - クラウス社がミュンヘンに設立。
- 1908年 - 当時世界最高速を誇った蒸気機関車S3/6形がマッファイ社の手により生産が始まる。
- 1931年 - 世界恐慌の影響を受け、クラウス社とマッファイ社が合併し、クラウス・マッファイ社が設立される。
- 1934年 - 軍事製品へとシフトする。ドイツ国家産業計画に従い、ハーフ・トラック(前輪が通常の車輪、後輪がキャタピラのトラック)の製造を開始する。
- 1937年 - 同社最初の戦車VK601を受注する。
- 1946年 - アメリカ軍の命令を受け、ダイムラーベンツ設計のバスの生産を開始する。
- 1956年 - 同社として最後の蒸気機関車を出荷。
- 1957年 - 世界初の全自動大型射出成形機を開発。
- 1986年 - プラスチック装置部門と車両・兵器部門が分離し、新体制に移行。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- クラウス=マッファイ(公式)