カルロス・バルドミール
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基本情報 | |
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本名 | カルロス・マニュエル・バルドミール |
通称 | Tata |
階級 | ウェルター級 |
国籍 | アルゼンチン |
誕生日 | 1971年4月30日(37歳) |
出身地 | アルゼンチン, サンタフェ州 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 58 |
勝ち | 43 |
KO勝ち | 12 |
敗け | 10 |
引き分け | |
無効試合 |
カルロス・マニュエル・バルドミール(Carlos Manuel Baldomir、1971年4月30日 - )は、アルゼンチンのプロボクサー。元WBC世界ウェルター級チャンピオン。34歳にして初めて世界チャンピオンに登りつめた、遅咲きの「叩き上げ」といった雰囲気のチャンピオンであり、そのためか、決して派手さはないが堅実な中に決して諦めない粘りの強さを持ったボクシングをする。その年齢からかオヤジ、オジサンといった意味の愛称「Tata」で呼ばれている。アルゼンチン、サンタフェ州出身。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロボクサー時代
1971年にサンタフェで生まれた。1993年2月19日に22歳でプロデビューする。1996年10月26日に全アルゼンチン (FAB) ウェルター級タイトルに挑戦するが、負傷判定で敗れる。デビューから4年になるこの年までに22戦し16勝4敗2分けと平凡な戦績である。翌1997年は1月17日に再度FABタイトルに挑戦するが、これも敗戦となる。その後も1998年6月5日にIBCライトウェルター級タイトルに挑戦し、これも判定負け。さらに1998年には9月12日にFABウェルター級タイトル戦で判定負け、10月28日にWBCインターナショナルウェルター級タイトルに引き分けでタイトル奪取失敗とタイトル戦に負け続ける。
しかし、この頃からバルドミールは着実に力をつけ始め1999年4月22日にWBCインターナショナルウェルター級タイトル戦に8回TKOで勝利し、初めてタイトルを獲得する。そして11月29日にIBCウェルター級タイトルを獲得、2000年8月11日にアルゼンチンサンタフェ州ウェルター級タイトルを獲得した。その後も5年近くに渡ってWBCインターナショナルのタイトルを守り続け、7度の防衛に成功した。
[編集] 世界タイトル戦へ
マイナータイトルを守り続けながら着実にランクアップをして2006年1月7日にようやくメジャータイトル戦に漕ぎ着けた。当時WBC・WBA・IBF世界ウェルター級チャンピオンであった、ザブ・ジュダーと対戦し、これを12回判定に下して世界チャンピオンになる。しかし、当初この試合はジュダーの3つの王座を賭けた試合であったが、バルドミールがWBC以外へのタイトル承認料の支払いをしなかったため、WBCのみの王座獲得となった。この試合は、前評判としては抜群のスピードを誇るザブ・ジュダー圧倒的有利と言われていたが、終わってみれば3-0の判定勝利であった。しかし、一部ではザブ・ジュダーの出来があまりにも悪かったため、「相手を舐める」というジュダーの悪いクセがでただけと評する向きもあった。
しかし、そういった声を払拭するように2006年7月22日に最初の防衛戦でアルツロ・ガッティと対戦し、9回TKOで勝利した。これによりマイナー団体のIBAウェルター級タイトルも獲得した。
しかし2006年11月4日にフロイド・メイウェザー・ジュニアとの防衛戦で12回判定0-3で敗れ、タイトルを失った。
その後、2007年7月28日に再起をかけ、バーノン・フォレストと空位のWBCスーパーウェルター級のタイトルを争ったが、12回判定で敗れ世界王者返り咲きは果せなかった。試合後引退をほのめかすコメントをしている。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連項目
前王者 |
第26代WBC世界ウェルター級王者 |
次王者 |