カシミール
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カシミール(英語:Kashmir、ヒンディー語:कश्मीर、カシュミール)とは、インド、パキスタン、中国の国境付近に広がる、山岳地方の名称である。かつて、ジャンムー・カシミール藩王国があった地域であり、標高8000m級のカラコルム山脈がそびえ中国との国境には世界第2の高峰K2が聳える。カシミール最大の都市はスリナガル(シュリナガル)で、インドのジャンムー・カシミール州の州都となっている。高級織物のカシミア(カシミヤ)は、この「カシミール」が語源。この地域原産のカシミアヤギの毛から作られる。この地域で信仰されているイスラムは非常に独特のものである。この世の全てのものが神の化身であり神が溢れており、ありとあらゆるものが神であるとする多神教との折衷的な世界観を保有している。この世界観に基づき預言者を通じずに神との交信が可能であると考えられており、独特の儀式が多数存在している。
[編集] カシミール問題
1947年8月にインドとパキスタンが別々の国家としてイギリスの植民地支配から独立したことに端を発している。それまでイギリス植民地のインド帝国として一つのまとまりであった広大な地域が、植民地独立を契機に、ヒンドゥー教徒が多数派であるが多民族・多宗教の国是(ガンディーの「一民族論」)を掲げるインドと、イスラム教徒は別個の民族と見なすジンナーらの「ニ民族論」に基づきイスラム教を国教とするパキスタンとの大きく2つの国家に分裂した。そのため、政治的理由から現インド領に住んでいた多数のムスリムが東西のパキスタン領へ、また逆に現パキスタン(およびバングラデシュ)領の地域からは多数のヒンドゥー教徒やシク教徒がインド領へと移住した。その大移動の過程において、国境線付近では「宗教」対立から略奪、虐殺、レイプなどが多発した。犠牲者は30万人とも100万人とも言われている。
イギリス植民地統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する藩王国をイギリスが間接的に統治していた。インド、パキスタンが分離独立したことで、それぞれ藩王国はいずれかの側に帰属することを迫られていた。しかし、カシミール藩王は独立を考えていた。カシミール藩王はヒンドゥー教徒であったが、住民の80%はムスリムという微妙な立場にあったからだ。パキスタンが武力介入してきたことで、カシミール藩王はインドへの帰属を表明し、インド政府に派兵を求めた。これが第一次印パ戦争の発端である。以後、第三次まで争っている。
この地域についてはパキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突(カシミール紛争)を繰り返してきた。現在は、ほぼ中間付近に停戦ラインが引かれている。パキスタンの実効支配地域はアーザード・カシミールと呼ばれており、インドの実効支配地域はジャンムー・カシミール州となっている。また、カシミール北東部、ラダック地方の東半にあたるアクサイチンは中華人民共和国に実効支配されている。また、カシミール問題と言うときには、インド管理地域内でのムスリムの集団による分離独立運動も指すことがある。
日本の学校教育用地図帳では、パキスタンから中国へ割譲された地域を除き、中印パ三国の主張するすべての地域を所属未定とし、実効支配線(停戦ライン)のみ描く手法がとられている。
[編集] 地震による影響
一部で「カシミール地震」とも呼ばれる2005年10月8日のパキスタン地震の後、同地は莫大な労力と巨額の復興費用を必要としている。