エウゼビオ
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エウゼビオ | ||
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名前 | ||
本名 | エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラ | |
愛称 | 黒豹、黒い真珠 | |
ラテン文字 | Eusébio da Silva Ferreira | |
基本情報 | ||
国籍 | ポルトガル | |
生年月日 | 1942年1月25日(66歳) | |
出身地 | モザンビーク・ロレンソマルケス(現・マプト) | |
身長 | 175cm | |
体重 | 76kg | |
選手情報 | ||
ポジション | FW | |
利き足 | 右足 | |
代表歴 | ||
1961-1973 | ポルトガル | 64 (41)
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エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラ(Eusébio da Silva Ferreira , 1942年1月25日-) はモザンビーク・ロレンソマルケス(現在のマプト)出身、ポルトガル国籍のサッカー選手。ポジションはFW。
目次 |
[編集] 人物・プレースタイル
黒豹(The Black Panther)または黒い真珠(The Black Pearl)の愛称で呼ばれた1960年代から1970年代を代表するフォワード。同時代にプレーしたペレとも並び賞された選手で、現役通算727試合に出場し715得点を記録した。
爆発的な加速力を誇り、屈強で柔軟な身体から放たれる強烈なシュートでゴールを量産した。シュートの際、軸足をボールの前に大きく踏み出すエウゼビオのシュートフォームは釜本邦茂に強い影響を与えた。
人格的にも非常に優れた人物で、試合終了後には相手選手を称える事を忘れず、他の選手からも愛された。
[編集] 略歴
1942年、当時ポルトガル領だったモザンビークで生まれ、1957-60年までスポルティング・マルケスに所属。1960年、ジョゼ・カルロス・バウエルに見出され、ベンフィカのスカウトによってにポルトガルへ連れて来られ、直後に契約。ベンフィカ在籍中の15シーズンでリーグ優勝10回、カップ優勝5回、得点王7回(1963-64、64-65、65-66、66-67、67-68、69-70、72-73)、ゴールデンブーツを1969-70(42得点)、72-73(40得点)の2度獲得、1965年にはバロンドールも受賞した。ポルトガル代表通算64試合41得点。2005年にペドロ・パウレタに抜かれるまで代表最多得点記録だった。
ベンフィカでのデビュー戦はペレ擁するサントスFCとの試合だったがいきなりハットトリックを達成。1961年10月8日にはルクセンブルク戦でポルトガル代表デビューを果たす。1966年イングランドワールドカップ準々決勝・北朝鮮戦ではサッカー史に残る驚愕のプレーをやってのける。前半24分までに0-3とリードされるが前半27分、42分に得点を決め、後半56分に同点ゴール、直後の59分にはPKを決め1人で4連続得点を叩き出し試合をひっくり返してしまった。試合は更に1点を追加したポルトガルが5-3で大逆転勝利を収めた。最終順位は3位、自身も6試合出場9得点で得点王になった。その後1975年のロードアイランド・オセアナース(USA)を皮切りに北中米のクラブを渡り歩き、1978年現役を引退した。
[編集] 所属クラブ
- 1957年-1960年 スポルティング・マルケス
- 1960年-1975年 ベンフィカ
- 1975年 ロードアイランド・オセアナース
- 1975年 ボストン・ミニットメン
- 1975年-1976年 CFモンテレー
- 1976年 トロント・メトロス・クロアチア
- 1976年-1977年 SCベイラ・マール
- 1977年 ラスベガス・クイックシルバー
- 1977年 ウニオン・トマール
- 1977年-1978年 ニュージャージー・アメリカンズ
[編集] 代表歴
- ポルトガル代表
- デビュー戦 対ルクセンブルク戦 (1961年10月8日、1962 FIFAワールドカップ予選、於:ルクセンブルク)
- 1966 FIFAワールドカップ出場。(3位入賞)
- 通算64試合出場41得点
[編集] 個人タイトル
- ポルトガルリーグ得点王:1963-64、1964-65、1965-66、1966-67、1967-68、1969-70、1972-73
- バロンドール:1965
- FIFAワールドカップ得点王:1966
- ヨーロッパ・ゴールデンブーツ:1967-68、1972-73
先代: デニス・ロー |
欧州年間最優秀選手 1965 |
次代: ボビー・チャールトン |
先代: レオネル・サンチェス、 ガリンシャ、ババ、 ワレンチン・イワノフ、 フロリアン・アルベルト、 ドラザン・イェルコビッチ |
FIFAワールドカップ得点王 1966 |
次代: ゲルト・ミュラー |