ウィリアム・クレイ・フォード・ジュニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・クレイ・フォード・ジュニア(William Clay Ford, Jr., 1957年5月3日 - )はフォード・モーターの会長を務めるアメリカ合衆国の実業家。2006年までCEOも兼任していた。
[編集] 略歴
彼はフォード・モーターの創設者ヘンリー・フォードの曾孫のひとり(父のウィリアム・クレイ・フォードはヘンリー・フォードのひとり息子エドセルの末っ子、母のマーサはファイアストンの創設者ハーベイ・ファイアストンの孫娘にあたる)としてデトロイトに生まれた。彼は名士の息子として、グロス・ポイントの豪邸で何不自由なく成長し、名門ボーディングスクール、ホチキス校(Hotchkiss School)を経てプリンストン大学で歴史を専攻、彼はプリンストンに在籍中、学内の名門クラブアイビー・クラブ(The Ivy Club)の理事長も務め、1979年に卒業している。彼はプリンストン卒業後フォード・モーターで働く一方、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院に学び、MBAを取得している。
彼はフォード・モーターに入社後、企画部門に始まり、ニューヨークやニュージャージーの販売責任者、労組担当、フォード・モーターのスイス支社の会長、スイスから帰国すると大型トラック部門のエンジニアリングの責任者、そして商用トラック担当の副社長といったポストを歴任した。スイス時代にフォード本社の取締役(事業戦略担当→専務)の一員となっていた彼は1994年に父の跡を継いで財務委員長に就任、財務委員長のポストにつく時フォード社内の慣例により、副社長職を辞任している。しかし財務委員長というポストは 職務上、会長兼CEO選出の決定権を持つ社外重役との接触が多く、この時つちかった人脈が後に生きてくる事になる。
ただこの時点では彼はフォード・モーターのCEOになる事には積極的ではなかった。父が買収して彼がオーナーを引き継いだNFLチームデトロイト・ライオンズの仕事に時間を割かれていたためである。とは言え彼は自分が激務にならない範囲でフォード・モーターの経営に参画したい意向は持っており、このジレンマを解決するため彼は1996年ごろから、自分がフォード・モーターの会長を、当時フォード・モーターの自動車開発担当の副社長だったジャック・ナッサーがCEOをという形でポストを分け合うという双頭体制を提唱して来た。
彼は社外重役からの支持取り付けには成功したが、フォード・モーターの取締役会はナッサーと彼のいずれを支持するか決めかねており、そのため当時会長兼CEOを務めていたアレックス・トロットマンの任期延長を可決した。