イ県
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本来の表記は「黟県」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
黟県(いけん、ピン音:yī xiàn)は中国安徽省黄山市管轄の県。面積847平方キロメートル、人口10万である。黟県は黄山市で最も小さな県であり、最古の県でもある。郵便番号は245500。県人民政府は碧陽鎮にある。古称は黝、広徳国、朔鹵(詳細は後述)。
目次 |
[編集] 概要
黟県は紀元前221年に建てられた。
黟県の可耕地は40.3平方キロメートル、山地は704平方キロメートルであり、76.3%が森林に覆われている。年平均気温は15.8℃、降水量1,686ミリメートル、無霜期は212~213日。茶、桑など衣料作物の栽培が盛ん。特産はシイタケ、木耳、シナガヤ(zh)の実などである。
16世紀には商業が盛んなことで知られ、4千棟以上の精巧な建築が行われ、その様式は風格明朗な「皖南民居」である。(皖南(かんなん)は安徽省南部。)世界文化遺産に指定された西遞村、宏村(zh)も黟県内にある。
映画『臥虎蔵龍』(日本における題『グリーン・デスティニー』)は宏村で撮影された。このほか、『菊豆』『復活的罪悪』『南京的基督』『大転折』『徽商』『風月』などにも黟県で撮影されたシーンがある。
[編集] 歴史
[編集] 名称
黟県の古称は黝(「黟」の異体字)であり、紀元前221年(秦朝26年)に作られた。紀元前19年6月、前漢の成帝の時代、黝県は広徳国と改称された。鴻嘉5年(紀元前12年ごろ)、広徳国が廃されて再び黝県となる。王莽は西暦10年(始建国2年)、黝県を朔鹵と改称し、丹陽郡の一部とした。西暦25年(建武元年)、再び黝県に戻された。
[編集] 行政区分
1950年に黄山市太平県(今は無い)、石台県に属していた美溪、柯村、宏潭が黟県に編入された。1958年1月2日、祁門県に合併され、黟県県委(中国共産党県支部)と県政府機関も転出した。1959年4月5日、国務院の批准を受け、再び黟県が設置された。
[編集] 自然地理
黟県の北部には枕黄山、南部には白岳があり、四方が山に囲われた盆地である。山は黄山につながっていて外界と隔てられているため、古くから「小桃源」と呼ばれていた。
黟県には現在にも古民居3,600棟が保護されており、皖南の中心地である。西逓、宏村、南屏、関麓、屏山に残る古民居は厳謹、工芸精湛なものであり、西逓、宏村は世界遺産に指定されている。
[編集] 行政区画
- 鎮:碧陽鎮、際聯鎮、漁亭鎮。
- 郷:竜江郷、碧山郷、西武郷、柯村郷、美渓郷、宏潭郷、東源郷、泗渓郷、洪星郷。
[編集] 西遞村
西遞は11世紀、宋朝の元祐年間にある河川の西岸にできた。そのため、元の名を「西川」といった。物資輸送の駅として使用されたため西遞(西逓、「逓」は宿場)と呼ばれるようになり、また「桃花源裡人家」とも呼ばれた。
この村を支えていたのは胡氏である。10世紀、唐の昭宗の子が変乱から逃れてこの地に隠れ住み、胡姓を称した。胡氏は1465年に商売を始めて成功し、土木、建築、修祠、道路整備、架橋などを行った。17世紀中ごろ、胡氏から官僚が出たため、さらに発展した。18世紀から19世紀にかけて、西遞の繁栄は頂点を極め、600もの豪邸が作られた。
西遞村の中心には東西を貫く幹線道路があり、その両脇に並行する道路との間に沢山の路地がある。敬愛堂、履福堂、刺史牌樓の公共施設も設けられていた。現在でも明清建築の124棟が観光用に保全されており、そのほとんどが一般に公開されている。そのほかの主要建築物に、1578年に作られた青石牌坊、1691年に作られた大夫第(医師屋敷)などがある。
2000年11月30日、オーストラリアケアンズで行われた第24回ユネスコ世界遺産委員会により、「安徽省南部の古代集落群」の西遞村、宏村が世界文化遺産に登録された。
[編集] 経済
黟県はその地理環境を生かして観光を主要産業としている。2003年には旅行者は111万人に達し、総収入は2.7億元であり、GDPの50%以上を占める。観光業のほか、絹糸生産、農産物加工、土産物の製造がある。
[編集] 製糸紡織業
絹関係の産業は観光を除いて黟県の基幹産業である。80年代初めに桑の植生が行われ、それから20年で桑園4.5万畝、繭の年生産量2千トンとなっている。製糸会社も2つあり、生糸の年生産量は400トン、これは安徽省で第2位である。また、練糸の年生産量は260トンで、これは安徽省で第1位である。絹関係の産業総収入は1.5億元以上に達する。
[編集] 農業副産物加工
黟県には農業副産物加工の企業も多い。桃源罐头食品有限公司は糖水板栗(むき栗の水煮)、箬叶(クマザサの葉、香り付けに使う)、乾燥野菜の千切り、筍の缶詰などの生産を行っており、とりわけ糖水板栗の生産量は中国第1で、その95%が輸出用である。また、黟県臘八豆腐、宏潭豆腐乳などが伝統的手工業で生産されており、中国の大手スーパーなど入手できる。
黟県は昔から茶の生産地として名高く、黄山毛峰、五溪香芽、西逓翠眉などの品種が知られる。また、黟県泗溪郷の香榧は安徽省を代表する名産品であり、とりわけ米榧と尚榧が観光客に人気がある。
[編集] 土産物の製造
黟県の観光業の発展に伴って、土産物製造業も発展を続けた。始めは個人による簡単な工芸品から始まり、後に金星工芸品廠、黄山市民間工芸品有限公司などが中心になって加工企業も100に達するようになった。とりわけ文房四宝(筆・墨・紙・硯)と呼ばれる、木彫り、レンガ彫り、石彫りの製品は日本や韓国に輸出されるほか、中国の20以上の省市で売られている。黟県は中国東部の観光用工芸品生産地、貿易拠点として発展を続けている。
[編集] その他の産業
黟県の機械電力設備、玩具、木竹製品産業の始まりは比較的早い。軸受、長絨玩具、高性能磁性材、小型机などが生産されており、それなりの規模に発展している。黟県の竹材合板工場は、中国でも比較的初期に始まっており、その生産技術は今でも高い。
[編集] 観光
黟県には世界文化遺産がある。「桃花源里人家」と呼ばれる西遞、「中国画里郷村」と呼ばれる宏村である。
世界文化遺産への登録を申請中の場所も多い。菊豆ゆかりの郷である南屏、神秘的な八大家連体建築の関麓、古黟の風水村(舒秀文の故居)屏山である。
その他、徽州第一木雕樓、塔川秋色、木坑竹海、清末の名妓賽金花故居、陶淵明後裔の居住地陶嶺村落、宏村龍池湾農耕文化園などが著名である。
また、五溪山自然保護区、西遞古石窟群、鴛鴦谷、十里桃花長廊等も観光地として開発中である。
[編集] 特産品
- 苦丁茶:日本でも近年、苦い茶の代表として知られている。
- 香榧:シナガヤの実。果肉に豊富な脂肪分、蛋白質、糖質、炭水化物を含み、ビタミン、不飽和脂肪酸も豊富である。
- 臘八豆腐:黟県の家庭風味の特産品であり、中国暦12月8日(臘八)前後にはどの家庭も豆腐を作り、これを乾燥させたものを臘八豆腐としている。
- 食桃:良質の籼(大陸性の稲)に一定比率でもち米を混ぜて挽いた米粉。水を加えてダンゴにし、蒸して食用とする。
[編集] 詩文での描写
宋代の文学家陶淵明は、黟県の風景を『桃花源記』の中で描写している。
- 「黟県小桃源,煙霞百里間,地多霊草木,人尚古衣冠」
と詠われている。
[編集] 外部サイト
- 黟县腊八豆腐(中国語)
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