インゲマル・ステンマルク
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オリンピック | ||
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男子 アルペンスキー | ||
金 | 1980 | 大回転 |
金 | 1980 | 回転 |
銅 | 1976 | 大回転 |
インゲマル・ステンマルク(Ingemar Stenmark、1956年3月18日 - )は、スウェーデンの男子アルペンスキー選手である。
[編集] 主な戦歴
- アルペンスキーのFISワールドカップで通算86勝は歴代第1位である。
- インスブルックオリンピック(1976年)にて大回転で銅メダルを獲得する。
- レークプラシッドオリンピック(1980年)にて大回転で金メダルを獲得する。
- レークプラシッドオリンピック(1980年)にて回転で金メダルを獲得する。
[編集] プロフィール
ワールドカップ通算歴代一位の86勝を誇る20世紀を代表する男子アルペンスキー選手。
全盛期には100分の1秒単位で争われる技術系の種目(回転と大回転)において、しばしば5秒前後の異次元の大差をつけて優勝するなどライバルを圧倒し、「ステンマルクに次ぐ2位は優勝と同じ価値がある」とライバル選手たちに言わしめた。
FISワールドカップでは通算勝利数86は2位のヘルマン・マイヤーに30以上の大差をつけており、「史上最強の天才スラローマー」の呼び声も高い。1976年から1978年の間、総合優勝している。1977-78シーズンとと1978-79シーズンには、出場した全ての大回転に優勝している。1979-80シーズンも、11戦10勝であった。回転についても、1975-76シーズンは7戦7勝、1976-77シーズンは10戦9勝、1981-1982シーズンは9戦8勝、1979-80シーズンは8戦7勝、1974-75シーズンは8戦7勝、1980-81シーズンは10戦8勝である。
つまり、この時期の回転、大回転の技術系種目では他を寄せ付けない強さがあった。しかし、FISワールドカップに1979年から採用になった新ルールにおいては総合ポイントは,滑降,回転,大回転,コンビの4種目の各3レースのみになった。このため、総合優勝するために、一度だけコンビのポイントを稼ぐために滑降に出場し、コンビ3位、15ポイントを獲得したが、以降、2度と滑降に出場することはなかった。
オリンピックは1976年と1980年のオリンピックではメダルを獲得しているが、1984年のサラエボ冬期オリンピックには当時のアマチュア規定の為に参加することができなかった。1988年のオリンピックには復帰している。
1989年3月 志賀高原のワールドカップを最後に引退