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アンナ・ポリトコフスカヤ - Wikipedia

アンナ・ポリトコフスカヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンナ・ステパノーヴナ・ポリトコフスカヤАнна Степановна ПолитковскаяAnna Stepanovna Politkovskaya1958年8月30日 - 2006年10月7日)はロシアジャーナリスト。ノーヴァヤ・ガゼータ紙評論員。ロシア人プーチン政権に対する批判的論陣で知られた。

目次

[編集] 生涯

ニューヨーク生まれ。1980年モスクワ大学ジャーナリスト学科を卒業。大学卒業後の1982年イズベスチヤ紙に入社し記者として勤務。ヴォズドゥーシュヌイ・トランスポルト(航空輸送)紙、創作団体「エスカルト」、出版社「パリテート」、メガロポリス・エクスプレス紙の評論員を経て、1994年~1999年、オープシチャヤ・ガゼータ(総合新聞)紙の評論員、同紙のチレズヴィチャーイナヤ・プロイスシェーストヴィヤ(緊急事態)課長。1999年6月、ノーヴァヤ・ガゼータ紙に移り、評論員となる。また、ノーヴァヤ・ガゼータ・オンラインニュース版ではコラムを担当している。同年からチェチェンを取材し、第二次チェチェン戦争の報道に当たった。

2002年10月モスクワ劇場占拠事件では、チェチェン武装勢力からロシア当局との仲介を依頼され、人質釈放の交渉に当たった。事件後も犠牲者の家族に対する支援に関与した。

2004年ベスラン学校占拠事件が発生した。彼女はチェチェン独立派に対する取材のためベスランに向かっていたところ、航空機内で意識を失った。本人は、機内で茶を飲んだ後に意識を失ったとして、これをロシア当局による毒殺未遂と主張している(ただし、彼女の証言を裏付ける証拠は現在のところ存在しない)。しかし、ロシア当局はこれを認めておらず、ロシアのジャーナリスト保護委員会も、病気の原因は特定されていないとしている。

ポリトコフスカヤは一時重体に陥るが、健康を回復。本人曰く「ロシア当局や、民族派のテロを恐れたため」ロシア国外で活動を再開していた。

[編集] 謎の死

2006年10月7日、モスクワ市内の自宅アパート建物エレベーター内で射殺体で発見された。ロシア警察は事件直後、犯人らしき人物が写っている防犯カメラの映像を公開するなど、積極的に捜査を行い、チェチェン人2人の身柄を拘束している。彼女の殺害に関しては、何かしら政治的な思惑が働いているのではないかとの見方も存在している。

ちなみに、ロシアでは1999年~2006年の間に126名のジャーナリストが死亡、もしくは行方不明となっている。

[編集] パーソナル

2000年1月、「ロシア金ペン賞」受賞。ロシア連邦ジャーナリスト連盟の「善意の行為-善意の心」賞、汚職対策の記事に対してジャーナリスト連盟賞、チェチェンの一連の記事に対して「ゾロトイ・ゴング-2000」賞、アムネスティ・インターナショナル英国支部から「世界人権報道賞(2001)」、国際ルポルタージュ文学賞「ユリシーズ賞」を受賞。

[編集] 評価

ロシア国内における彼女の報道姿勢に対する評判は、どちらかといえば否定的なものが多い。主な理由としては、まず自身の著書において、高い支持率を誇るプーチン政権を徹底的に批判し続ける姿勢が一般国民の感情的反発を招いた事が挙げられる。また、プーチン政権と対立していた政商ミハイル・ホドルコフスキーとの「連帯」を表明し、著書のなかでホドルコフスキーの所有していたユコス社を「ロシアで最もガラス張りの企業」と評するなど、露骨にホドルコフスキーを賞賛したことも、彼女のイメージを傷つける要因となった(一般的に、ロシア国民のホドルコフスキーに対する感情は悪い)。

また、自らの著書の中でプーチン大統領を、ロシアの作家ゴーゴリの作品「外套」に登場する小役人アカーキイと重ね合わせたり、「理由は自分でもわからないが、とにかく(プーチン大統領が)嫌い」と述べるなど、いささか感情的に過ぎるともとられかねない態度をとることもあった。

さらにチェチェン問題では、ポリトコフスカヤ自身は「中立」を表明しているものの、明確にチェチェン独立派よりに立った報道姿勢を貫いていた。ベスラン学校占拠事件カディロフ大統領暗殺事件など、チェチェン武装勢力側が犯行声明を出した事件に対しても「ロシア政府の陰謀」であり「チェチェン独立派とは一切無関係」と主張していた。このことも、彼女の評判を下げる要因のひとつとなっている。

しかしながら、生命の危険にさらされつつも、チェチェン情報を発信し、ロシア国内の人権問題を問い続けた、彼女のジャーナリストとしての姿勢は高く評価されていたのも事実である。

チェチェンへの潜入取材で知られるジャーナリストの林克明は「(アンナは)あまりにも本当の事を書きすぎた」とテレビ番組で語っている。

[編集] 著書

  • 『チェチェン やめられない戦争』(NHK出版、2004年)
  • 『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(NHK出版、2005年)
  • 『チェチェン ロシアの恥辱』(2003年、ドイツ・ユリシーズ賞受賞作)
  • 『ロシアン・ダイアリー-暗殺された女性記者の取材手帳』(日本放送出版協会、2007年6月)

[編集] 外部リンク


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