アンドレア・サルトレッティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 バレーボール | ||
銀 | 1996 | バレーボール |
銅 | 2000 | バレーボール |
銀 | 2004 | バレーボール |
アンドレア・サルトレッティ(Andrea Sartoretti、1971年6月19日 - )はイタリアのバレーボール選手。ペルージャ出身。1996年アトランタオリンピック銀メダリスト、2000年シドニーオリンピック銅メダリスト、2004年アテネオリンピック銀メダリスト。身長194cm、体重88kg。
目次 |
[編集] 来歴
1987年に地元ペルージャのカステッロへ入団し、1991年にセリエA1・ラヴェンナへ移籍した。ラヴェンナでは欧州チャンピオンズリーグ三連覇、欧州スーパーカップ二連覇を果たすなどの活躍を見せた。1997年モデナ在籍時にスクデットを獲得し、その後セリエA1のチームを渡り歩いたが、2005年より再びモデナに所属している。
1993年、21歳でナショナルチーム代表となる。一時期ナショナルチームから離れるが、2004年アテネオリンピックまで10年もの長きに渡り、イタリア代表のサウスポーのスーパーエースとして数々の国際大会で活躍した。国際試合総出場数は328試合である。身長には恵まれないものの、強烈なパワーと速さと高いジャンプ力を持ち、特に Sartorace と呼ばれる迫力満点の豪速ジャンプサーブと、バックアタックの破壊力は世界屈指であった。また常に攻撃的なプレーを信条とし、強靭な精神力でチームを牽引した。
1996年FIVBスーパー6に選ばれ、銀メダルを獲得した2003年ワールドカップではベストサーバー賞を受賞し、金メダルを獲得した同年ヨーロッパ選手権ではMVPとベストサーバー賞をダブル受賞した。腰をくるっと捻って打つ独特のステップのジャンプサーブのフォームは、狭い練習場のコートでいかに無駄な動きをせずに威力のあるジャンプサーブが打てるかを、独自で研究したものだと言われている。
数多くの国際大会でメダルを獲得しているが、三大会連続出場したオリンピックでは、アトランタは決勝でオランダに敗れ、シドニーは準決勝でユーゴスラビアに敗れ、アテネは決勝でブラジルに敗れ、一度も金メダルを獲得できなかった。
彼の代表引退後のイタリア代表のスーパーエースは、アレッサンドロ・フェイが務めている。また彼に代わるサウスポーのエースとしてミカル・ラスコが代表入りしている。
[編集] 球歴
[編集] ナショナルチーム代表歴
- オリンピック
- 1996年(銀メダル)、2000年(銅メダル)、2004年(銀メダル)
- ワールドカップ
- 1999年(銅メダル)、2003年(銀メダル)
- 世界選手権
- 1998年(金メダル)、2002年(5位)
- ワールドリーグ
- 1994年、1995年、1997年、1999年、2000年(金メダル)
- 1996年、2004年(銀メダル)、1993年(銅メダル)、1998年、2002年(4位)
- 欧州選手権
- 1999年、2003年(金メダル)、2001年(銀メダル)、1997年(銅メダル)
[編集] クラブチーム優勝歴
- スクデット(チャンピオンシップ・セリエA1)- 1997年
- コッパ・イタリア - 1997年、2002年
- CEVカップ - 2002年
- 欧州チャンピオンズリーグ - 1992年、1993年、1994年、1997年
- 欧州スーパーカップ - 1992年、1993年
[編集] 所属クラブ
- カステッロ (1987-1991年)
- ラヴェンナ (1991-1996年)
- モデナ (1996-1997年)
- モンティキアーリ (1997-2000年)
- クーネオ (2000-2002年)
- トレント (2002-2005年)
- モデナ (2005-2008年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- PALLAVOLO MODENA モデナ (イタリア語プロフィール)