アンソニー・ムンディン
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基本情報 | |
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本名 | アンソニー・ムンディン |
通称 | The Man |
階級 | スーパーミドル級 |
国籍 | オーストラリア |
誕生日 | 1975年5月21日(33歳) |
出身地 | ニューサウスウェールズ州, ニュータウン |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 34 |
勝ち | 31 |
KO勝ち | 23 |
敗け | 3 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
アンソニー・ムンディン(Anthony Mundine、1975年5月21日 - )は、オーストラリアのプロボクサーであり、オーストラリアラグビーリーグのプレイヤーでもある。現WBA世界スーパーミドル級チャンピオン。アボリジニであり、父親もかつてプロボクサーであった。「本物の男」といった意味の「The Man 」の異名を持つ。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] ラグビープレイヤー時代略歴
ジュニアの時代からラグビー選手として活躍しており、1993年にラグビーリーグチームのセントジョージドラゴンズと契約した。1997年にはブリスベン・ブロンコスでプレーするが、1998年にはまたセントジョージ・ドラゴンズに戻り2000年までプレーをした。ドラゴンズでのトータル戦績は126試合出場、56トライ、3ゴール、2フィールドゴールである[1]。
[編集] プロボクサー時代略歴
[編集] 最初の世界タイトル
プロボクサーとしてのデビュー戦は2000年7月3日である。2001年2月19日にはデビュー5戦目にしてオーストラリアスーパーミドル級のタイトルを獲得する。さらに4月16日にはPABAスーパーミドル級タイトルを手に入れる。精力的に試合をこなし、同年9月3日には空位のIBFパンパシフィックスーパーミドル級タイトルを獲得する。12月1日には全勝のまま、メジャータイトル初挑戦としてスベン・オットケの持つIBFタイトルに挑戦するが10回KOで初黒星を喫する。しかし、2002年9月2日にはWBAパンアフリカンタイトルを獲得、11月2日にはWBAフェデレーションタイトルを獲得する。翌2003年9月3日にはアントワン・エコルズと空位のWBAスーパーミドル級タイトルを巡って王座決定戦を行い、12回判定で勝利して初のメジャー世界タイトルを獲得した。ちなみに初防衛戦は2004年1月19日で、相手は西澤ヨシノリであったが5回TKOで下して防衛に成功した。
[編集] 2度目の世界タイトル
2004年5月5日に2度目の防衛戦を行うが、マニー・シアカに僅差の判定 (113-115, 113-115, 114-113) で敗れてタイトルを失う。しかし、2005年6月8日には再度世界タイトル戦のチャンスを得て、ミッケル・ケスラーに挑戦するが、12回判定で敗れてタイトル奪取に失敗した。 その後、空位となったWBAレギュラータイトル[2]を賭けて2007年3月7日にサム・ソリマンと王座決定戦を行う。ムンディンはこれに9回KOで勝利して2度目の世界タイトルを獲得した。6月27日には祖国オーストラリアで初防衛に成功、その後3度防衛に成功している。[3]
[編集] 獲得タイトル
- オーストラリアスーパーミドル級王座
- PABAスーパーミドル級王座
- IBFパンパシフィックスーパーミドル級王座
- WBAパンアフリカンスーパーミドル級王座
- WBAフェデレーションスーパーミドル級王座
- WBA世界スーパーミドル級王座
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ History of St George Doragons Player Staticsより。
- ^ ミッケル・ケスラーがWBCタイトルも獲得したためスーパーチャンピオンに認定された。そのため、レギュラー王座は自動的に返上され空位となった。
- ^ Boxrec.com Anthony Mundineより。
空位 前タイトル保持者 スベン・オットケ |
第13代WBA世界スーパーミドル級王者 |
次王者 マニー・シアカ |
空位 前タイトル保持者 ミッケル・ケスラー |
第16代WBA世界スーパーミドル級王者 |
次王者 N/A |