アルマゲスト
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アルマゲスト(あるまげすと、Almagest)はローマ帝国時代にエジプト・アレクサンドリアのクラウディオス・プトレマイオスによって書かれた数学と天文学の専門書である。原典は μαθηματικἠ σύνταξις(Mathematike Syntaxis(『数学全書』)、後に He Megale Syntaxis(『大全書』)とも呼ばれる)という書名で、ギリシャ語で書かれていた。これが後にアラビア語に翻訳された際に al-kitabu-l-mijisti("The Great Book") という書名になり、これがさらにラテン語に翻訳されて Almagest というラテン語形の名前に変わった。
『アルマゲスト』に書かれていた天動説は惑星の運動を説明するモデルとして1000年以上にわたってアラブ及びヨーロッパ世界に受け入れられた。『アルマゲスト』は現代の我々にとって、古代ギリシアの天文学について知る上での最も重要な情報源となっている。また『アルマゲスト』は、原本が失われた古代ギリシアの数学者ヒッパルコスの文献についての引用を多く含むため、数学を学ぶ者にとっても価値のある本とされてきた。ヒッパルコスは三角法についての本を著したが、彼の原書は失われているため、数学者達はヒッパルコスの研究成果や古代ギリシアの三角法一般についての情報源として『アルマゲスト』を参考にしている。
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[編集] 成立年代
『アルマゲスト』が執筆された年代については近年の研究によって正確に確定している。プトレマイオスは紀元147~148年にエジプトのカノプスに自らの天文学理論を記した碑を建立した。1980年代に N. T. ハミルトンは、このカノプスの碑文に書かれているプトレマイオスの理論は『アルマゲスト』に書かれているものよりも以前の形式であることを発見した。従って『アルマゲスト』が完成したのは、プトレマイオスが天体観測を始めてから25年後の紀元150年頃より後ということになる[1]。
[編集] 内容
『アルマゲスト』は13巻からなる。各巻の内容は以下の通りである。
- 1巻:アリストテレスの宇宙論の概要、弦(chord)の長さの表、球面三角法の導入
- 2巻:天体の出没、昼の長さなど、天体の日周運動に関連する問題
- 3巻:太陽の運動
- 4、5巻:月の運動、月の視差、地球に対する太陽と月の大きさ、距離
- 6巻:日食、月食
- 7、8巻:恒星の運動、分点の歳差、星表。この星表では最も明るい星は1等(m = 1)、肉眼で見ることができる最も暗い星は6等(m = 6)と記されている。それぞれの等級は1段階暗い等級よりも2倍明るいと考えられていた。この等級の仕組みはヒッパルコスによって発明されたと考えられている。
- 9巻:肉眼で見える5惑星のモデルを構築する際の一般的問題、水星の運動
- 10巻:金星・火星の運動
- 11巻:木星・土星の運動
- 12巻:留と逆行(惑星が背景の黄道十二宮に対してしばらく停止し、その後逆方向へ移動する運動)。プトレマイオスは外惑星だけでなく水星と金星に対してもこれらの用語を用いるべきであるとした。
- 13巻:黄緯方向の運動(惑星の黄道からのずれ)
[編集] プトレマイオスの宇宙観
『アルマゲスト』の宇宙論は5つの要点を含む。これらはそれぞれ第1巻の中で一章を設けて説明されている。以下は Toomer による、プトレマイオス自身の言葉の意訳である。
- 天上の世界は球形で、球として動く。
- 地球は球である。
- 地球は宇宙の中心に位置する。
- 地球の大きさは恒星までの距離に比べて極めて小さく、数学的な点として扱うべきである。
- 地球は動かない。
[編集] プトレマイオスの惑星モデル
プトレマイオスは各惑星の天球について内側から順に以下の順序を付けた。
- 月
- 水星
- 金星
- 太陽
- 火星
- 木星
- 土星
- 恒星の天球
他の著者は異なる順序を提唱していた。プラトン(紀元前427頃~347頃)は太陽を月の次の位置に置いた。マルティアヌス・カペラ(紀元5世紀)は水星と金星は太陽の周りを回るとした。これらの中で、イスラム世界や後の中世ヨーロッパの天文学者はプトレマイオスの典拠を好んで用いた。
プトレマイオスはギリシアの先人達から幾何学の道具立てや惑星が天球上のどこに現れるかを予測するモデルの一部を受け継いだ。ペルガのアポロニウス(紀元前262頃~190頃)は周転円と従円、離心円を天文学に導入していた。ヒッパルコス(紀元前2世紀)は太陽と月の運動を説明する数学モデルを構築した。ヒッパルコスはメソポタミア天文学の知識を持ち、ギリシアのモデルを正確さの点でバビロニアのモデルに匹敵するものにしなければと考えた。しかし彼は太陽・月以外の5惑星については正確なモデルを作ることができなかった。
『アルマゲスト』の中で、プトレマイオスは単純な1個の離心円からなるヒッパルコスの太陽のモデルを採用した。月については従円上に周転円を置くヒッパルコスのモデルから始め、これに天文学史研究者がクランク機構と呼んでいる仕組みを加えた。また彼は第3の仕組みであるエカントを導入することで、ヒッパルコスが失敗した惑星の運行モデルを作ることに成功した。
『アルマゲスト』はプトレマイオスによって数理天文学の教科書として執筆された。この本は円の組み合わせに基づく惑星の幾何学モデルを説明しており、これは天体の運動を予測するために使えるものだった。後に書かれた Planetary Hypotheses(『惑星学仮説』)の中で、プトレマイオスは彼の幾何学モデルを3次元の球や球面の一部に変換する方法について述べている。数学的性格の強い『アルマゲスト』に対して、Planetary Hypotheses はしばしば宇宙論の本として扱われている。
[編集] 『アルマゲスト』の影響
このプトレマイオスによる数理天文学の包括的な専門書はそれ以前のギリシア天文学の参考書のほとんどに取って代わるものとなった。ある本はより専門的な内容であったために人々の興味を失うこととなり、別の本は単に『アルマゲスト』よりも内容が時代遅れになった。結果として、これらの古い本は写本されなくなり、次第に失われていった。今日では、ヒッパルコスのような天文学者の研究成果について我々が知る知識のほとんどは『アルマゲスト』での引用に由来する。
[編集] 中世及びルネサンス時代の『アルマゲスト』
『アルマゲスト』の最初のアラビア語訳は9世紀に二つの別々の仕事によって行なわれた。そのうちの一方はアッバース朝のカリフ・マアムーンの援助によって行なわれた。この頃にはヨーロッパでは『アルマゲスト』の存在は忘れられ、わずかに占星術の教えの中に残るのみとなっていた。そのため、西ヨーロッパの人々はプトレマイオスをアラビア語版の翻訳本によって再発見することとなった。12世紀にはスペイン語版が作られ、後に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の支援によってラテン語にも翻訳された。またこの頃、クレモナのジェラルドによってスペインのトレドでアラビア語版から直接翻訳された別のラテン語版も作られた。ジェラルドは専門用語の多くを翻訳することができず、ヒッパルコスを表すアラビア語の Abrachir などもそのまま残している。
15世紀になると西ヨーロッパでギリシア語版が作られ、レギオモンタヌスとして知られるドイツのヨハン・ミューラーがギリシアの才能溢れる枢機卿ヨハンネス・ベッサリオンの勧めによってラテン語の抄訳版を出版した。同じ時期にラテン語の完訳版がトレビゾンドのゲオルギウスによって作られた。この版には本文とほぼ同じ分量の注釈が付いていた。この翻訳はローマ教皇ニコラウス5世の支援によって行なわれ、それまでに出回っていた訳本を置き換えることを目的としていた。この新訳本は非常に良く改善されたものだったが注釈はあまり出来が良くなく、大きな批判が巻き起こった。教皇はこの本の献呈を拒否し、レギオモンタヌスの訳本の方がこの後数世紀にわたって好んで用いられた。
『アルマゲスト』の注釈はこれまでに、アレクサンドリアのテオンによるもの(現存)、パップスによるもの(断片のみ残る)、アモニウスによるもの(喪失)などがある。
[編集] 現代の版
- 『アルマゲスト』の英訳本は2種類が出版されている。R. Catesby Taliaferro による本はブリタニカの Great Books of the Western World の第16巻に収録されている。より最近の翻訳としては G. J. Toomer による Ptolemy's Almagest, Princeton University Press, 1998 (ISBN 0-691-00260-6) がある。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- James Evans, The History and Practice of Ancient Astronomy, Oxford University Press, 1998 (ISBN 0-19-509539-1)
- Olaf Pedersen, A Survey of the Almagest, Odense University Press, 1974 (ISBN 87-7492-087-1)
- Olaf Pedersen, Early Physics and Astronomy: A Historical Introduction, 2nd edition, Cambridge University Press, 1993 (ISBN 0-521-40340-5)